コラム・エッセイ
No.31 「悲しき農村」⑫ 稲作10年目(4)
中須里山通信 形岡 瑛ホトトギスが来るのが例年より遅く、筆者は5月27日の朝、初音を聞いた。昔は百姓はホトトギスがなくと田を植えなければならないとされていた。そのためだろう、ホトトギスは「時鳥」とも書く。
古今集に
いくばくの田を作ればか時鳥しでの田長(たおさ)を朝な朝な呼ぶ
という歌がある。
「田長」は大田植の指揮をする古老。時鳥が毎朝のように、田長を呼んで早く植えろ早く植えろとなき詰めるというのである。「しで」は「死出」、「死出の山」のような苦しい仕事の指揮をする田長ということではないか。
今年は時鳥の声がいっそうせわしげに聞こえる。冬期の降水量が極端に少なく、水不足が懸念されていたが、中須北では早くも水源の足谷の堤(ため池)が梅雨入り前に空になった。
筆者は10アール足らず受け持っている。5月29日の朝行くと「ことしはやれんかもしれんよ。梅雨入り前に足谷が空になるこたあなかった。梅雨前線が上がってこんのじゃけえ」という話が出た。既に、田植えの途中で水がかれて田んぼがひび割れているところも。(写真)
それでも多少なりとも水があるところでは、「植えさえすればなんとかなる、今のうちに」と、気ぜわしいことになっているのだ。
筆者は、南では80アールある。そのうち、40アールは大溝から水を取るので心配はない。あとの40アールのうち、20アールは皮肉なことに、たまたま同じ水源の農家が一軒離農したので、水が足りる結果となっている。それでも、もう一軒とは田植え時期のずれを考えて水を分け合っている。
30日は、予報通り、雨の一日だった。この雨の中、いそいで代かきをする姿も見られた。
筆者も20アールの田んぼの代かきをした。だが足りない。
