コラム・エッセイ
No.38 「悲しき農村」⑲ 稲作10年目(11)
中須里山通信 形岡 瑛毎年、何かある。何かが起きる。今年、最大の危機は台風14号だった。
1999年の18号で、我が家の母屋の茅葺きの上にかぶせていたトタンが新聞紙のように吹き飛ばされてしまった。14号はそれとほぼ同一のコースだった。相当の被害を覚悟した。亀の尾が刈り取りの時期になっていた。強風で稲が転ける、転けてから刈るか? それとも、刈り取ってハゼにかけて置くか? 転けた稲を起こして刈るよりは、ハゼにかけて倒れたのを起こす方が楽であろうと決断した。稲ハゼの組み立てに当たっては、縦ぐいを掛矢で深く打ち込み、支柱も、平常の2倍にして金槌で打ち込む。縦杭の前後にも特別に支柱を入れ、横揺れに備えた。竿と支柱とは固定せずに竿の揺れが吸収されるような免震構造を意識した。9月18日、強い風と激しい雨、一日中、じっと嵐が過ぎるのを待つ。幸いあのときのように屋根が吹き飛ぶということはなかった。雨ばかりが激しかった。
翌、19日、台風一過。稲ハゼは?
稲ハゼは、水に浸かった田んぼの中にしっかり立っていた。(写真)
ここは、八代境の薬研谷から流れる水路沿いである。水路が狭いので沿岸の田んぼは殆ど冠水した。刈り取り前だったら、倒伏し水浸しになって米が台無しになるところだった。
ほっと安堵の胸をなで下ろしたが、中須では、この雨で随分被害が出た。冠水して倒伏した稲が水没、土砂崩れによる用水路の崩落。市道の遮断。田んぼが崩れて住宅に土砂が流れ込むなど。田植え時期の渇水でさんざんな目に遭って、今度は収穫の時の大雨である。
稲作10年目は、試練の1年でもあった。
9月19日、中須南朴
