コラム・エッセイ
No.39 農村の希望(1) 限界集落①
中須里山通信 形岡 瑛この秋、9月の半ば、ゴルフ場の西側の「えき」の田んぼで稲刈り最中のMさん夫婦に出会った。Mさん夫婦が腰をかがめて手刈りしているので
「手刈りかね?」
と声をかけた。コンバインを入れる前に周囲を予めバインダーで刈り取る。ところが、その「バインダーもはまり込んでしまう」「この下の田んぼの排水がつぶれちょるからね」という。
「えき」というのは、小さな谷、山の湧き水があつまって流れているところである。そこに上から少しずつ土砂がたまってゆるやかな傾斜地ができる。水があるから、そこに水田が作られた。元来、水が集まるところなので深田(ふけだ)となり、映画「ニッポン昆虫記」にあるように腰まで浸かるところも少なくない。
中須と八代の境にある丘陵地の裾にはそうした田んぼが多い。田んぼに暗渠を敷いて水はけをよくする排水工事をしてトラクターやコンバインが入れるようにしてある。ところが、近年は、その排水設備が老朽化し、機械が入れられなくなるところが増えている。
「今更排水工事をやり替えるちゅうても100万もかかるからやれりゃせん」
「資材もたこうなっちょるけえね」
「あがらんな米だけ」
中須でも、小規模農家がほとんどだ。会社勤めの収入で機械を買い米作りを続けてきたが、定年すぎると、機械の買い換えもできない。若い世代の雇用が不安定となり、賃金があがらない昨今では、若ものが米作りを引き継いでいくのも難しい。
「地獄におるんじゃいや」とMさんはいう。
「ここらあはみなポツンと一軒家になるでよう」
実際、みんなそんなことを思いながらも自分が元気なうちは、とやっているのだ。
Mさんはコンバインを辛抱強く使ってきたが、具合が悪くなった。農機具メーカーに来てもらったが、もう部品がないといわれた。
