コラム・エッセイ
No.44 農村の希望(1) 限界集落⑥
中須里山通信 形岡 瑛さらに、奥畑川を下って行くと、橋があり対岸に家屋が見えた。川沿いの畑が整えられている。(写真) あの榎の屋敷は、そこからさらに下ったところで、榎もなく屋敷も見えない。橋の下手に家屋があった。今見るとログハウスが建っていた。
2009年の時には40歳くらいの男性から少し様子を聞いた。その時「下流の市道が川を渡る橋の土台のコンクリートがぐらついている」とのことで行政に点検を要望した。
そこから下った山手の崖の上に家があり、ご夫婦がおられて話を聞いた。川向こうの、山林も、10メートルくらいの高さまで田んぼだったということだった。(写真の家屋の後ろの様子からそれが伺える)そのお宅は空き家になっていた。
例の橋の手前に「段差あり注意」との表示板、何らかの手当をしてくれたのだろう。一番下に2軒つづけて家がある。畑に出ていた女性に話を聞いた。
「私が来た頃(50年くらい前)には、40軒あった。1軒で4、5人で200人は居たからね」
そこから県道に出るまでの間が少々怖い。ギザギザの岩肌が道路間際まで迫っており、崩れ落ちそうに見える。今回通ってみると、3カ所、新しい横断側溝があり、山からの湧き水が路面に溢れるのを防ぎ、川に流れ落ちるようにしてあった。
ここら辺りは、大字須万に含まれる。行政区は鹿野であった。須万、金峰は鹿野と須金と二つの行政区に分かれている。須金は須万と金峰とで一つの村にした。
須万という名称は元は須磨であり、兵庫県の須磨から来ているとのことだ。それは、平家の落人が逃れてきて暮らした故だという。平家にまつわる様々な伝承がある。
限界集落の家屋
