コラム・エッセイ
No.50 農村の希望(1) 限界集落⑫ 四万十川中流の集落を訪ねて(五)
中須里山通信 形岡 瑛2009年7月5日、午前6時51分、徳山駅発のひかり542号で岡山へ。岡山発8時51分の南風3号で高知に向かった。瀬戸大橋線から土讃線に。讃岐山脈を越え、吉野川沿いに遡り、大歩危小歩危など秘境を通過、長いトンネルを抜け太平洋側に出て、窪川に着いたのは、12時47分だった。
ほぼ一時間の待ちで予土線に。窪川で四万十川と出会う。標高千メートルを超える不入山を源流とする四万十川は、窪川の南側に形成されている山塊にぶつかって四国山地とその山塊の狭間を西に流れていく。川沿いに線路が走る。窪川の標高が200メートル、十川が90メートル、東西43キロメートルの緩やかな流れは、激しく曲流する穿入蛇行という他に例のない独特の景観を見せている。
南側の山塊は、太平洋プレートで押し上げられてできたものであるということだ。土佐大正、土佐昭和(*)の次が十川駅である。十川着は14時9分であった。
駅は、四万十川沿い市街地の北側の小高いところにある。ホームに降り立つと西に延びる街道の南側に滔々と流れる四万十川が見える。歩いて宿泊先の民宿十川温泉に。出発前に、道の駅「四万十とおわ」の社長さん、JA十川の経営委員中岡全さんに取材の了解を得ていた。
ぽつぽつと雨が降る中、道の駅に行った。真新しい施設で、少しイメージが違った。社長は留守で不在の時に対応すると云われていた人も居なかった。
(*)旧大正町、昭和村の駅。昭和村。十川村とが合併して十和村となった。2006年に窪川町、大正町、十和村が合併して四万十町となった。
十川駅(2009年7月5日)
