コラム・エッセイ
No.52 農村の希望(1) 限界集落⑭ 四万十川中流の集落を訪ねて(七)
中須里山通信 形岡 瑛翌6日もぽちぽちの雨。宿で借りた自転車で出かけた。四万十町の十川総合支所で十和村行政区の人口ピラミッドを出して貰って、JA十川に行った。事務所の前には、第48回=4月26日で紹介したように、岡峰藤太組合長の顕彰碑が建っていた。
経営委員の中岡全さん(写真)は土佐人らしい熱血漢という印象である。
大野先生の研究を紹介し、「人口ピラミッドを見る限りでは今も十川には限界集落はなさそうですね」と云うと
中岡さんは、「けれども、今は農家は後継者はいない」と云われ、以下、十川の概況の説明を受けた。
《十川地区は420戸、1戸当たりの耕作面積は300aで露地野菜が主体で生産高は5、6億円ある。椎茸は昭和50年代がピークであった。現在は、その10分の1になっている。昭和60年ごろから中国産が入り、価格が半分の1,000〜2,000円/キログラムまでに落ちた。農家は、3,500円から4,000円必要である。現在は4000円台に回復した。戦後、十川で針葉樹の植林が行われなかったのは、椎茸、木炭が産業化されていたから。戦時中満州に分村していた人が帰ってきて手がけた。》
中岡さんが古城椎茸研究会会長の吉野清水(きよみ)さんに電話して下さったが、留守だった。清水さんは、第48回(4月26日付け)で紹介した初代会長の吉野菊馬さんの跡を継いでいるのだ。中岡さんが菊馬さんと共に研究会を立ち上げた安藤精馬さんを紹介していただいた。ぽちぽちの雨が土砂降りになった。中岡さんが自転車を軽トラの荷台に載せて安藤さんの家まで送って下さった。
中岡全さん(2009年7月6日、JA十川で)
