コラム・エッセイ
第19回 スペイン・インフルエンザによって売れた「氷」
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐前回はスペイン・インフルエンザが蔓延している時期によく売れた薬について紹介しました。今回は、前回とりあげた『防長新聞』の記事に掲載されていた、もう一つのよく売れた物である「氷」について紹介します。
この氷は今でいうかき氷とかではなく、普通の氷です。なぜ、インフルエンザの蔓延で氷がよく売れたのでしょうか。まず、この時代一般家庭では氷を作ることができません。冷凍庫どころか、冷蔵庫もあまりない時代だからです。また、この氷は食用で使うのではありません。今ではあまり使われなくなってしまいましたが、熱が高くなった人には、「氷嚢(ひょうのう)」といって、氷をいれた袋を頭にのせるなどして冷やしました。そのために氷が使われたのです。1918(大正7)年11月4日の『防長新聞』でも、氷屋の話として例年に比べて3割も氷需要が高いことが報じられています。前回とりあげた風邪薬も価格があがっていましたが、氷の値段も倍以上となっていました。例年寒いこの時期には氷はほとんど売れないため、ストックもあまりなかったようです。記事では値段があがっていることを「暴利」と断じられてしまいましたが、供給が滞っているなかでは値段の高騰もやむを得なかったかもしれません。
11月13日の記事では、徳山町にインフルエンザが蔓延していることが報じられるとともに、氷需要の高まりが報じられます。氷はおそらくいつも仕入れていたと思われる下関から来ず、売り切れてしまったので広島から来るのを待っているとあります。
この時期、徳山町では自力で氷を生産することができなかったようで、他地域、しかも100km以上離れた場所から移入していたことがわかります。生産を他地域に頼っていると、在庫がなくなると全く対応できなくなってしまったことでしょう。
前回と今回でよく売れたものを見てきました。最後に少しですが、売り上げが下がってしまった店舗を紹介します。それは「湯屋」つまり、お風呂屋さんです。多くの人が病気になってしまったので、お風呂屋さんに来る人が減ってしまったということだったようです。