コラム・エッセイ
戦後81年目
翠流▼昨年、周南市は「戦後80年事業」として1年を通じて写真パネル展や講演会、体験学習、演劇公演、体験者の証言公開など多彩なイベントを展開した。ところが81年目の今年、以前から開催していたものや市民によるものを除き、20ほどあった事業のほとんどがなくなり、この落差に驚いている。
▼市内各地で巡回展示した写真パネルも保管はしているが、市民に見てもらう機会はないという。例えば、市役所本庁のロビーや昨年、「戦中・戦後のくらし」展を開いた中畷町の民俗資料館でその一部でも展示することはできないのだろうか。
▼徳山は1904年(明治37年)に徳山海軍燃料廠、第三海軍燃料廠の前身、海軍練炭製造所の開設が決定し、工業都市として歩み始めた。大手企業が次々に進出し、1922年に徳山港が開港した。1935年に徳山市制施行。太平洋戦争末期に米軍による大規模な空襲があったが、戦後も工業都市として発展してきた。
▼民俗資料館の前身の新南陽民俗資料展示室では地場産業や進出、撤退した大手企業の工場で使われていた工具類などを大量に収集、保管していた。
▼海軍練炭製造所ができてから120年。工業都市に成長する中で、周南市の産業や人々の暮らしはどう変化したのか。戦時中の苦難、戦後の復興も含め、民俗資料館の一角に常設展示できないものだろうか。「戦後80年」で生まれた盛り上がりを一時的なイベントで終わらせることなく、これからも語り継いでほしい。
(延安弘行)
