コラム・エッセイ
(19) 敦盛首塚
補 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
須磨寺の境内に入ると、すぐに「源平の庭」がある。その庭では、源平合戦の一ノ谷の戦いで行われた平敦盛(たいらのあつもり)と熊谷直実(くまがいなおざね)の一騎討ちの場面が、銅像によって再現されている。
須磨の浦の沖合いにいる船に向かっていた平敦盛に対して、熊谷直実は扇をあげて「返せ。返せ」と声をあげる。その声を聞いた敦盛は、引き返して直実との一騎討ちに挑む。しかし、あえなく倒されて首を取られる。
その時、直実が「首を掻かん」と兜を取って目にしたのは、自分の息子と同じ十六七に見える顔であった。助けようと思ったが、後ろには味方の軍勢が迫っていた。助けたとしても、逃げることはできないであろう。
直実は、死後の供養をすることにして敦盛の首を掻いた。その首を包むために鎧直垂(よろいひたたれ)をほどくと、錦の袋に笛が入れてあった。その笛が、境内の宝物殿に展示されている「青葉の笛」とされている。
首実検(くびじっけん)という言葉があるように、敦盛の首も「敦盛首洗池」で清められ、源義経によって検分されたと言われている。検分の時に義経が座ったとされている「義経腰掛の松」が池の傍に残されている。
そこからわずかに離れた場所に、敦盛の首を埋葬したとされる首塚がある。直実に討たれた敦盛は、首と胴体が別々にされて、首だけが須磨寺に持ち込まれている。胴体は、須磨公園に敦盛塚として祀つられている。
敵の首を取ることは手柄であったに違いないが、戦いの中にありながら腰に笛を差していた若き敦盛を討ち取った悔いを、直実は一生背負い続けていく。直実は、のちに出家して、名を蓮生(れんせい)に改めている。
須磨寺の境内には、多くの著名人の句碑や歌碑、文学碑が建てられている。その中でも、特に、松尾芭蕉の「須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇」が有名であろう。木下闇(こしたやみ)とは、暗い木陰のことである。
(画家)
