コラム・エッセイ
第五十八手「私の師匠① 山田太喜三プロ⑴」
「碁」for it 小野慎吾筆者自身は4歳の時、囲碁を習うのに「子ども囲碁教室」から始めました。旧徳山市にあり、今でも続けられています。その後に旧新南陽市の碁会所に通い、旧徳山市の碁会所に通うなど実力が上がるにつれて行く場所が変わっていったのを今でも覚えています。
そんな中でも印象的であった「私の師匠」をご紹介したいと思います。
師匠の名前は「山田太喜三」先生です。元プロ棋士です。先生と最初にお会いしたのは高校生の頃です。その頃、筆者は「徳山中央棋院」に通っていました。実力としてはその場所で上から7〜8番目だった様に思います。
何かの大会で先生と打つ機会があり、時の席亭さんより「元プロの先生だから心するように」と言われました。対局した内容までは覚えていませんが、確かにいつも打つような囲碁の相手とは全く違い、自分が知っている場所に石が来ませんでした。何もわからないまま敗北をしました。その後も何度か打つ機会がありましたが、なかなか勝利する事は出来なかったと思います。
先生が「徳山中央棋院」に来るようになった経緯を席亭さんにうかがったことがあります。そのエピソードは面白く今でも覚えています。先生は広島県に在住で囲碁のお仕事でたびたび旧徳山市に来られていたようです。先生はパチンコが好きで、仕事が終わった後は銀南街のパチンコ屋さんで時間つぶしをされていたようで、それを聞きつけた席亭さんが「先生、パチンコする暇があれば良かったら碁会所にも寄って下さい」と言われたのが経緯のようです。(笑)
当然、元プロの先生であったためその碁会所では最高段位でした。それが先生にとってはうれしかったようで、日曜日には毎週のようにおられた覚えがあります。初めて先生に勝てたのがいつだったかは忘れましたが…うれしかったのを覚えています。囲碁については詳しくどうするべきだったかを教えて下さる先生ではなかったと思います。最初の頃はレベルが低い着手だったと思いますが、そんな着手でも否定はせずに、うなづいて下さることが多かったように思います。正に背中で語るという感じでした。
先生の教えもあって囲碁強豪の大学に進学することが出来ました。ご報告した際に「小野君、よく頑張ったな」と言って頂いたのを今でも覚えています。日曜日にしか会ってなかったのにも関わらず、お祝い金を頂いたのもとても驚きました。
先生のような懐の深さにはまだまだ追いつくはずがありません。大学在学時に先生は急遽お亡くなりになられました。
このご時世で先生のお名前をインターネットで検索したら出るかと思いきや、ほぼ出て来ません。私の中ではいつまででも「師匠」です。先生のエピソードはまだあるため次回も続けさせて頂きます。
天国の先生に届くように「碁」for it(頑張る)!
山田太喜三先生
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