コラム・エッセイ
(9)愚者の金(ぐしゃのきん)
再々周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
周南市長田町の海岸で採集した岩石をハンマーで二つに割ってみると、驚いたことに金色に輝く断面が現れた。その黄金の輝きを目にした瞬間に冷静さを失い、本物の「金」を発見したかのような強い興奮に襲われた。
一攫千金を目的に岩石採集をしているわけでは決してない。それでも、長きにわたって憧れを持ち続けてきた超貴重鉱石である「金」を見つけたとなれば、その感動は特別なもので、冷静さを失うのは当然といえる。
興奮が冷めてくると同時に、「愚者の金」という言葉が頭に浮かんできた。その意味は、巨大な富を手にすることを夢見て、金鉱石を探す多くの人たちが、金によく似た鉱石を金鉱石と間違えたできごとに由来する。
そこには、欲望と失望とが渦巻く劇的な展開があったに違いない。まんまとダマされた者が愚か者とされて、見事にダマした物が愚者の金とされたのである。勝手に金に間違えられた鉱石にとっては大迷惑であろう。
そんな「愚者の金」に非常によく似た話が、『新南陽市の民話と伝説』の「金胡(かなご)の為次郎ときつね」にも記されている。伝説に登場する場所も、かって金胡(金期)の浜と呼ばれていた現在の長田海岸である。
欲深い為次郎は、息子が山で拾ってきた子キツネを親キツネに返す代わりに「金の出る場所」を教えてもらう。そして、光り輝いている金を一晩中堀り続けるが、夜が明けるとともに金は真っ黒い砂に変わっていく。
為次郎は落胆と疲労のためその場で息絶える。その後、息子は一切の欲を捨て去り安楽に暮らしたという。伝説は、欲張ることを戒める内容であるが、その奥には別の真意が秘められているような気がしてならない。
長田海岸では大規模な開発が行わたことによって、多くの土石が他の場所から持ち込まれている。そのことが、今回、採集した黄鉄鉱、黄銅鉱と思われる「愚者の金」の産地特定をより難しくしているように思える。
