2025年10月02日(木)

コラム・エッセイ

(68)安徳天皇西市御陵墓参考地

再々周南新百景 佐森芳夫(画家)

 「それよりしてぞ、平家の子孫は絶えにけり」この言葉を最後に、『平家物語』は終わる。解説の言葉を借りるまでもなく、「そのようにして、平家の子孫は絶えた」といった言葉が、余りにも悲しく聞こえてくる。

 それは、「平家の子孫さだめて多かるらん。訪ね出だし、失い給え」という源氏の言葉が導き出した結果にほかならない。「失い給え」は、殺してしまえという意味であり、敗者としては逃げるしかなかっただろう。

 そして、二位の局は「これは西方浄土へ」の言葉を残して、わずか8歳の安徳天皇と三種の神器を抱きかかえながら海底に沈んでいった。壇ノ浦の激しい流れの中に、またたく間にその姿が消えていったに違いない。

 安徳天皇の御陵は、下関の赤間神宮境内にある阿弥陀寺陵とされているが、各地に多くの言い伝えが残されている。その中で、宮内庁によって管理されている「参考地」の一つが、下関市豊田町地吉の豊田湖畔にある。

 しかし、なぜ、海から離れた山間の地に壇ノ浦の海に入水したとされる安徳天皇の陵(みささぎ)があるのか不思議である。諸説ある中で、江戸時代に編纂された『防長風土注進案』には、一つの説が記されている。

 それによると、三隅村沢江の漁師の網にかかって引き上げられた遺体を国府に送る途中、大津郡と豊浦郡との境で棺が何らかの理由で重くなり動かすことができなくなったことから、この地に埋葬したとされている。

 しかし、昭和30年(1955)に木屋川ダムが完成したことによって、遺体がくるまれていた網を掛け置いた「網掛の森」、その網を洗ったとされる「烏賊ヶ淵(いかがぶち)」など関係する史跡は湖底に沈んでいった。

 今では、サンデン交通の「天皇様」バス停そばに立てられた標識で昔を偲ぶしかないが、さらに、現在計画されているダムのかさ上げが行われることによって、陵墓の景観にも大きな影響が出ることが予想されている。

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