コラム・エッセイ
(80)嶽山
再々周南新百景 佐森芳夫(画家)「嶽山」と書いて「だけやま」と読む。その嶽山は、周南市富田と小畑の間にそびえる標高364mの低山である。低山ではあるが、市街地から近いことや登りやすいことなどから、登山者には人気の山となっている。
ところが、かって嶽山が火山であったことは、余り知られていないような気がする。たしかに、火山であったことの痕跡をほとんど残していないため、嶽山が火山であったことに気づかないのは当然と言えるであろう。
さらに、嶽山の場合は噴火したのではなく、山頂からマグマが押し出されたとされている。しかも、火山活動が行われた時期は、新第三紀の約60万年から35万年前と第四紀の16万年から10万年前のことであったらしい。
別説もあるが、嶽山は島根県津和野町の青野山を代表峰とする青野山火山群に、千石岳や金峰山、四熊ヶ岳などとともに含まれている。これらの火山に共通しているのは、お椀を伏せたようなドーム状の形であろう。
ドーム状の地形を溶岩円頂丘(溶岩ドーム)と呼ぶようであるが、嶽山や四熊ヶ岳のように地形の崩壊が進み、ドーム状の原形をとどめていないものもある。そこには、火山がたどってきた貴重な跡形が残されている。
嶽山から産出した平野石は、古墳時代から石室や石棺などとして使用されていた。鎌倉時代以降には、五輪塔や宝篋印塔、石仏などが制作された。この平野石は、マグマが地表付近で急に冷えて固まった安山岩である。
また、かって平野山と呼ばれていた頃には、山の土が掘り出されて屋根瓦が焼かれた。最盛期の明治時代には、60軒を超える家で焼かれていたとされているが、原料となる土が枯渇したことなどから衰退していった。
登山の楽しみ方は、人それぞれと言えるであろう。決して、これといった正解があるものではない。同じように、登るだけが山の楽しみ方ではないとも言える。山に思いを馳せるのも、山の楽しみ方に違いない。
