コラム・エッセイ
(82)菊川湖
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)周南市川上にある川上ダムは、昭和37年(1962)に完成した堤防の長さ120メートル、堤高46、5メートルの重力式コンクリートダムである。その後、昭和47年からダムのかさ上げ工事が進められ、昭和54年に完成している。
その結果、堤防の長さ187・3メートル、堤高63メートルに増大した。2級河川である富田川の上流部にあり、本流の富田川に支流の四熊川、中野川などが流れ込む。川上ダムによってできたダム湖は、菊川湖と呼ばれている。
ダム湖の名前は地名によるものが多い。本来であれば地名の川上湖とされるべきであろうが、菊川湖の場合は例外で、昭和62年から始まった「森と湖に親しむ旬間」において公募したものが命名されたと言われている。
しかし、菊川という名称についての説明や菊川の名称がなぜ選ばれたのかについては、書かれたものを見つけることができなかったため、不明と言わざるを得ない。そこで、菊川の名称について調べてみることにした。
最初に調べたのは、江戸時代に編纂された『防長風土注進案』や『地下上申』などであった。もしも、菊川という名称が古くから地元に伝わるものであれば、必ず出てくるはずであるが、見つけることができなかった。
次に、比較的新しい『徳山市史』などを調べてみると、町村の再編成の中に、「四熊、小畑、下上の三か村の連合を仮に菊川組と呼んだ」や「連合時代の名称をとって菊川村とする案があった」のように書かれていた。
あくまでも、仮に呼ばれたものや、案としてのものではあるが、そのあたりに手がかりがありそうである。しかし、「菊川とは富田川の別名をとったもの」と唐突に記されていたことから、すべての調査を終わらせた。
現在では、周南市の下上、加見、四熊、小畑の4つの地区をあわせた地域が菊川と呼ばれている。また、この地域にある保育園や小中学校、警察署、市民センターなどの公共施設の多くにも菊川の名称が使われている。
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