コラム・エッセイ
防災はまちづくり?《平成30年7月豪雨》〜須金で思ったことⅤ
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修11月に周南市須金で市の総合防災訓練が開かれる。周南市になって初めての中山間地域での開催となることから、須金ならではの先駆け的な取り組みにしようと気合が入る。わがまちの防災というテーマは縦割りだった組織が横並びになっての取り組みとなり、昨年末から議論を重ねている。
市の主催なので行政サイドですべてお膳立てし、そのシナリオに沿って対象地区が動くというのが本来なのかもしれない。慣例で動く行政にとっては「いらんことをするな!」と面倒くさがられていると思う。
しかし市の中枢から遠く離れておよそ公助とは縁遠く、川のはんらんに気をもんで毎年のように起こる土砂災害で幹線道路は閉ざされ、半分は陸の孤島となる現実は、常に自然災害への危機感がつきまとい、決して他人事ではすまされない現実がある。
一方、周辺地域に比べて高齢化率も高く、住民の中には防災という視点からすれば半ばあきらめにも近いものに支配されているのも事実だ。
年寄りの語る「この歳まで十分に生かせてもろうた」「今さらどこにも行きとうはない」、中には「早うお迎えが来てくれんにゃあ…」などは今の時代は通用しない。「人に迷惑をかけとうないからおいちょってくれ」というのが実は一番の迷惑な話になるのだ。
ふた昔も前なら年寄りのそんなつぶやきも「ごもっともです」と首を縦に振っていたかもしれないが、1人の行方不明者でも官民挙げて大勢で捜索するとなれば、災害時に「早う避難しようや〜」と迎えの人が来ても意地を張って動かないというのはもう社会問題かもしれない。
それに最近の自然現象は極端だ。今までの「ここはなんぼう降っても世話ーないの」などが通用しなくなっている。まずは周りの現象を多少の危機感を持って観察するクセをつける必要がありそうだ。
天気予報も100%当たりはしないが、気象衛星からのデータやスーパーコンピューターによる解析とやらで、ひと昔からすると各段に精度が高くなっていることを実感する。テレビも地デジになって、それらの情報がデータボタン一押しで天気予報の時間を待つことなく入手できる。
インターネットの環境があればなおさらで、自らがそれらの情報を得る習慣も必要だ。避難も自発的に判断する時代になってきたと思う。ここで言いたくはないのだが、役所が避難指示を出すのが遅かったなどと他人のせいにしても仕方がない。
その意味では今回の豪雨災害は大いに教訓になった。この災難を他人事でなく自分の身に置き換えての訓練につなげようと議論も熱を帯びる。訓練での目標は要援護者も含めて全住民を避難させる仕組みを考えようというものだ。
そのためには市民センターはもちろん、消防団、自治会、社協といった地域の中の力だけで完結できる仕組みを作ろう。オール須金で取り組もう。
川のはんらんに気をもむ毎年の土砂災害は危機感がつきまとう
秋の訓練の目標は要援護者も含めて全住民を避難させる仕組みを考えることだ
