コラム・エッセイ
防災はまちづくり?
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修地域での防災活動を推進することが、ひいてはまちづくりにつながっていくことをテーマに書き始めたが、自分のような浅才の身では及ぶはずもなく、山の事故や先の大阪北部地震に話題が飛ぶなど論旨の見えない面白くもない迷文を長々と書くことになってしまった。
そもそもは我々、周南市の須金という過疎と高齢化の進んだ地域の住民が、防災という海のものとも山のものともわからない取り組みを始め、気がつけば須金の多くの組織を巻き込んだ取り組みにつながっていったことを、顛末(てんまつ)も含めて伝えたかったのだが、プロローグに力が入り過ぎて脇にもそれてしまった。
とはいえ、くどくなるが、昨今は観測史上初とか過去に例がない、想定以上、経験したことがないなどを冠にいただく自然現象が頻発している。
地震にいたっては発生確率がゼロでない限り、きょう起きるかもしれないし、日本のどこにも安全地帯はないことを思い知らされ、対岸の火事だと見過ごせない時代になったことを多くの人は再認識しなくてはならないと思う。
大昔なら、これら自然災害はたたりであり、犠牲者が出れば神罰だと恐れ、ただただ、神仏に許しをこい、祈るしかなかった。しかし今はすべてではないが、それらのメカニズムも解明されつつあり、多くの犠牲の上に防災や減災の方策も見いだされてきた。
問題はこれらを役所の仕事だ、誰かがやってくれると待っているだけでは解決できないということだ。
税金を投入して世の中のすべての仕組みや構造物をあらゆる現象に耐えるように強靭(きょうじん)なものに作りかえれば「災害」も死語になるのかもしれないが、誰が考えてもそんなことは不可能だ。
まずは自分の命は自分で守るという「自助」も、大方はその意味は知っているはずだが、いまだにここは生まれてから災害は起こったことがないなどと神話のようなことを語る人もいる。自分は不思議と運が強いから大丈夫だという根拠のない自信を持つ人もいる。
一歩進めて、自分たちの地域は自分たちで守ろうという「共助」の力も重要だが、意識の差をはじめ、地域の中にはそれぞれの歴史や縦や横のしがらみもある。動き出すまでには随分と苦戦を強いられることは体験した。
前回、大阪北部地震での帰宅難民問題を都市部での災害の課題の一つとして取り上げた。もちろん、ほかにも都市ならではの脆弱(ぜいじゃく)な問題が浮き彫りになっている。それなら対極にある地方の山間過疎地の課題は、みなさん何だと思いますか?
いよいよ次回から本題に入ります。
共助の力も重要だ=全世代で地域を守ろう
地域の防災は組織や人を巻き込むことが必要だ
