コラム・エッセイ
防災はまちづくり?⑭
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修18日の朝、大阪の高槻市あたりを震源とする「大阪北部地震」が発生した。当然のことながら予兆もなく突然の出来事だっただけに多くの人は戸惑い、慌てたことだろう。亡くなられた方やけがをされた方も多く、ご家族は悲痛な日々を送られていると察する。
それに地域によっては水道、ガスなどライフラインの完全復旧にはまだ時間がかかりそうで、しばらくは不安で不自由な生活を強いられることになる。
いつも思うのは、どんなに言葉を選んでも美辞麗句にしかならず、決して寄り添うことはできないのだが、希望だけは持ち続けてほしいということだ。
ところで今回の地震の第1報での印象は、東京に次ぐ日本第2の大都市で起きた地震ということと、鉄道や高速道路など多くの人や物が往来する大動脈が貫通しているだけに、国家レベルの災難になるかもと身構えた。しかし新幹線はじめ鉄道などは翌日までにほぼ運転が再開できたというではないか。
電話の通話制限も解除されるなど予想より被害の拡大は免れている。多くの人が被災しているのに不謹慎かもしれないが、ちょっと胸をなでおろした。ふた昔も前であれば、家屋の倒壊はもとより道路や橋などのインフラの損壊もかなりのものだったと思うが、過去の災害で多くの犠牲があっての耐震基準などの見直しの成果でもあろう。
私事で恐縮だが、大阪に弟が住んでいるので安否確認すると無事とのことでひと安心した。最近はメールやラインでリアルタイムでのやり取りが普通となり、お互いが安心?できる。
平成7年の阪神淡路大震災では山口県でも揺れを体感した。早朝まだ布団の中だったが、その時はまさか近畿一帯を大地震が襲ったなどとは思いもしなかった。まもなく弟から電話があり「こっちはみんな無事だから…」とだけ一方的にしゃべって切れた。
初めは何のことだろうと寝ぼけた頭で首をかしげていたが、テレビをつけて大仰天だ。すぐさま電話を折り返すものの、いくらかけてもつながらない。互いに携帯電話など持っていない時代なので連絡の取りようがない。
命があるのは確認できたが、家族にけがはないのか。家は大丈夫だろうか。ライフラインはどうなっているのかと胆を焼いた記憶がある。後日、詳細がわかってようやく胸をなでおろした記憶がよみがえった。
あれから四半世紀近くたって携帯電話やインターネット環境も充実してきたインフラの耐震化や、その後の東日本大震災の教訓も生かされてきたとは思う。しかしまだまだ人々の防災に対する認識を上げる余地はあるはずだ。
弟は役所勤めをしているが、あの日、出勤してこない職員が3分の1もいるとぼやいていた。こんな時は電車が止まっているのなら自転車ででも出てくるのが公務員の使命ではないかと…。
最近はメールやラインでリアルタイムでやり取りできる
