コラム・エッセイ
防災はまちづくり?⑤ 《西日本大震災に備えよ》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修4月9日の午前1時32分。島根県西部を震源とする地震が発生した。マグニチュード5・8。震度は5強。あちこちで被害も出ているようだ。
さすがに寝入っている時間帯でもあり、最初の揺れで瞬時に飛び起きはしなかったが、夢うつつの中で布団からはい出し、倒れ掛かるものはないかと見回して次の対応を考えた。
周南市は震度3だったが、須金でも家はガタガタと音を立てて揺れ続けた。眠気も吹き飛び、外に出るべきか本気で考えた。
そのうちに携帯の地震を知らせるメールが鳴り、確認すると、震源地が島根県という情報に少しは安堵(あんど)した。しかし熊本地震のように余震の後追いで本震が来るかもしれない。立ったままテレビの情報を眺め、しばらく落ち着かない時を過ごした。
本題の「防災はまちづくり?」からは少し脇道にそれるが、2年ほど前に京都大学の地球科学者でもある鎌田浩毅氏の「西日本大震災に備えよ」という少々、ショッキングなタイトルの本を読んだことを思い出した。
3・11を引き金に日本の大地変動の時代が始まり、火山活動が活発化して、いつどこでそれらが動いても不思議ではないというのだ。西日本大震災も近い将来、確実に発生するという。それに今の科学では天気予報のようにあす、あさって起こるなどと予測することは出来ないという。
毎度のことだが、ワイドショーのコメンテーターはなぜ地震発生の数分前にでも緊急地震速報が出せないのかと真顔で苦言を呈する。
何と情けない。何十億年もの地球の歴史からすれば、我々のいうところの天災など一瞬の瞬きほどにもなく、かすり傷にもならない事象に過ぎない。
考え方ではあろうが今、何ごともなく生きていることが奇跡とさえ思えるのに、明らかにおごりだと思う。
巨大噴火とも、破局的噴火とも呼ばれるカルデラ噴火が起これば、文明が滅びるともあった。ちなみに今、阿蘇山のカルデラ噴火が起これば、九州のほぼ全域が火砕流に襲われ、2時間で700万人が死亡し、西日本では1日で50センチの火山灰が積もるとシミュレーションされている。
それがいつ起こるとも誰にもわからないというから、もはや人智の及ぶものではない。
とはいうものの、この世に生まれて生活しているからには時限爆弾を脇に抱え、ただただその日がくるのを恐怖におびえているだけというわけにはいかない。人類誕生以来、度々遭遇した大災害でも、祖先たちは何とか生き残り、執念で命をつないできたからこそ今がある。
電気も電話も存在しない昔は本能的に身を守る野生的な能力が備わっていたともいう。先住民たちは自然に対して謙虚であり、決しておごることもなくさまざまな事象をしなやかにやり過ごし、したたかに生きてきた。
我々現代人は便利さ、快適さと引き換えにそれらを失い、危機意識の欠落や生き抜く術を置き去りにしたのではなかろうか。
そんなことを考えた眠れぬ一夜でもあった。
現代人は便利さ、快適さと引き換えに置き去りにしたものがある
