コラム・エッセイ
防災はまちづくり?⑦
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修こんな話を聞いた。家の中にこもってテレビゲームに夢中になっている孫の姿を見たおじいちゃん。「外に出てみんなと遊びなさい…」と言ったという。
後日、友達が迎えに来て連れだって公園に行ったようで、やれやれこれで少しは外で遊んでくれると一安心。鬼ごっこをしているのか、かくれんぼか、ちょっと気にもなる。今時の子どもたちはサッカーかもしれないと散歩がてら公園に行ってみると、何と黙々とみんなでゲームに興じていたという。笑い話のようなおじいちゃんの嘆きの声だ。
もちろんこれが現代っ子のすべての姿というわけではなく、野球やサッカー、陸上などのスポ少で日々汗をかいている子どもたちも多い。仲間と切磋琢磨(せっさたくま)する姿は素晴らしい。時には厳しい指導もあるだろうし、レギュラーの枠に入れずに涙を流すこともあるだろう。きっとこれらの経験は近い将来、社会に出た時の糧になるだろう。
が、ちょっと辛口で物申せば、というより老婆心からでもあるが、日々どれだけ五感を使った生活をしているのだろうか?という心配もある。
最近の生活で裸火を扱うことが少ない。石油ストーブからエアコンになり、調理もガスコンロからIHヒーターが標準になりつつある。マッチやライターが家にないのが普通になり、若いお父さん、お母さんはマッチが擦れないと嘆く人もいるが、生活に必要がないのだから仕方がない。
人類が他の動物に先駆けて唯一“火〟をコントロールできるようになったからこそ今があるというが、ここに来て“火〟を扱えないというのも寂しい。
またまた「西日本大震災に備えよ」からの引用になるが『気流の鳴る音』という社会学者の見田宗助氏の著書が紹介されている。はしょっていえば、未開地域の原始的な生活をしている人々は何十キロメートルも遠くで気流が鳴る音を聞くことができる、という世界を表現しているというのだ。人間の五感が文明と引き換えに退化し続けることの警鐘ともとらえた。
お叱りを承知でいえば、大規模災害時に避難所で配布される水や弁当、物資だけが頼りというのは豊かで平和な国ならではかもしれない。もっと生き抜く力があっても良いのではないか。現代人はもっと五感を駆使した生活を心掛けなくてはならないのではないか。
須金では昨年からライフラインが途絶しても何とか生きていける人を育てようと、公民館(市民センター)主催で「サバイバル教室」が開かれている。
老若男女がチームを作って山の湧き水を探し、アメンボが生きているから大丈夫だ、と、こして飲み水にする。鍋釜の代わりを現地調達し、燃料は、薪はともかく空き家の戸板を外してきてでも煮炊きをしようという企画だ。
食材は提供するが、火がつかなかったらそれまでという設定は大人も本気になる。
この経験は社会に出た時の糧になるだろう。が…
ライフラインが途絶しても生きるために
火がつかなかったらそれまでという設定は大人も本気になる
