コラム・エッセイ
謹賀新年2018《今年もよろしくお願いします》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修新年おめでとうございます。昨年一年間「おじさんも頑張る!」にお付き合いいただきありがとうございました。今年も身近な出来事を見たまま感じたままに書こうと思います。片目をつぶってお付き合いいただければ幸いです。
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昨年の秋に山好きの方から「山のことはいっそ書かんのー」と言われた。本当は走ってえらかったなどということより、あちこちの山の季節ごとの新鮮な話題を伝えたかったのだが、それが書けない。なぜなら山に行ってないからだ。
例年なら月一回はやり繰りして登っていたし、秋には万難を排してアルプス山行を決行していた。ところが公私何かと用事が重なり、思うように身動きがとれなかった。
田舎に暮らしているがために何かと雑多な役がまわってくる。そのすべてを全力でこなすなど不器用なので不可能で、手を抜くわけではないが、ある程度の取捨選択をしても、多い時には週に二度、三度と出ていくことがある。
今年も年明け早々に東京で開かれる移住フェアに出向き、須金への移住希望者を探しにいく。須金の自主防災も事業が目白押しで、秋には市の総合防災訓練が開かれるなど大型案件も控え、すでに準備作業も始まっている。
「終活」がはやりだ。我が家には自分の身の回りの物はさておき、先代はおろか先々代も前からの物が長屋に詰まっている。大昔は醸造業もしていたというから、無用に屋敷が広く、古い建物もある。
子どものころは入ったこともない物置の奥に桶やざるなどがびっしりと山積だった。物がない時代、というよりは現代のプラスチック製の使い捨てにしても惜しくないような物もなく、ざる一つにしても人の手で何日も手間暇かけて編み込んで作られた大切な道具だったことがしのばれる。
今の時代ではとても手に入らないような緻密で丁寧な細工がしてあり、大事に保管されていたのは重々承知している。が、次の出番の予定もなく断腸の思いで整理にとりかかった。ひと昔前の人であれば処分するなど考えられないことだったかもしれない。もし、ご先祖様が雲の間からのぞいていたら「このばち当たりめが…」と激怒されるに違いない。
築百年を超えた建物も痛みがひどい。テレビのリフォーム番組のように新築できるだけの費用をかけて修繕しても、その後に使うあてもない。こちらもとうとう解体の決意をした。いずれ誰かがやることならばご先祖様の怒りと罰を一身に背負う覚悟を決め、延々と作業が続く。
多少の目途はついたが、今年も「終活」に追われそうだ。また、ここ数年は毎年のように葬儀、法事と私的なイベントが続いた。できるだけ簡素にとは思うが、親類縁者との関わりは家訓として大事にしてきたのでそれなりのエネルギーも使う。
物はいつか消えるが、ご縁は大切にしたいものだ。
田舎故に会議などで集まりも多い
誰かがやらなくてはならないこと=使うあてのない建物を解体する
