コラム・エッセイ
東北急ぎ旅⑤
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修郡山ジャンクションで磐越道から東北道に乗りかえて福島、仙台と北上を続ける。この道は平野部を通ることが多いようで、仮眠中にふと目が覚めて車窓から眺める景色にあまり変化がなく、単調な気がする。ぼちぼちと飽きと疲れも出るころで、余計にそんな感覚になるのかもしれない。
よく利用する中国道は中国山地を縫うようにカーブやアップダウンも多い。さらに長いトンネルも連続し、ハンドルを握る手にも力が入る。ボロ車で走るとなれば登り坂ではエンジン音もやかましくて眠気の防止にはなるのだが…。
宮城県を縦断して、いよいよ岩手県に入った。一関インターで下りて陸前高田まで一般道を走ることになる。大船渡まであと2時間ほどだろうか。効率優先で無味単調な高速道路を下りて久々に見る一関の街並みや行き交う人たちの姿に何やら急に俗っぽさを感じるし、長い旅の一段落が現実味を帯びてきたからか、おとなしかった同乗のメンバーたちもごそごそと動きが出てきた。
Mさんにハンドルを預けて改めて地図を眺める。今は東北地方の背骨にあたる奥羽山脈と北上山地の間の、いわゆる北上盆地にいるわけだが、太平洋側に出るためにはもう一度この北上山地を越えなければならない。山陽と山陰に単純に分断できる中国地方の地形に比べて随分と複雑怪奇に感じてしまう。
岩手県のほぼ中央を南北に長く伸びる北上盆地はかつての奥州街道に始まり、現在の東北新幹線や東北自動車道の通り道でもあり、独自な文化が育まれたことが想像できる。さらに太平洋沿岸や奥深い山地まで抱える地形ならではの多様な文化と交流があるはずだ。
そんな地理学的な想像はさておいて、恥をしのんで告白しよう。大変失礼だが、車窓から見える沿線の風景は日常であり普通の暮らしを感じる。実は東日本大震災で被災した三陸沿岸イコール岩手県という感覚で過ごしてきたことが恥ずかしい。それにこの辺りの地図をじっくりみるのは今回が初めてだったのだ。
震災から5年。テレビや新聞、ネットでさまざまな情報を見聞きした。わずかだが募金もした。しかし、復旧のお手伝いにいったわけでもなく、地図さえじっくりと見ることもなかった。車窓からの光景と合わせて眺め直し、岩手県の県境を越えた途端に惨状を目の当たりにするのではなかろうか、などという狭小な視野と認識不足を口にはしないが大いに恥じた。
車は最後の峠を越えて陸前高田に向かって下る。山あいの集落をいくつか過ぎて突然のように宅地造成現場といった光景が目に入る。海岸からは随分と奥まっているが、津波が川を遡上(そじょう)して被災した地区だ。さらに下流にいくと人の暮らしとは無縁の無機的な工事現場そのものになってしまった。
かつては多くの人が暮らしたまちがすべて流された跡が延々と続き、時に流されなかったコンクリート造りの建物が荒野にたつ墓標のように現れる。
車窓からの光景は無機的な工事現場そのものになってしまった=陸前高田市
流されなかったコンクリート造りの建物が荒野にたつ墓標のよう=津波は4階にまで達したという
