コラム・エッセイ
東北急ぎ旅⑨
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修それにしても村田さんの行動力には関心する。写真集をきっかけに全国の人々とのつながりも生まれ、最近では大船渡市の子どもたちと沖縄の人との定期的な交流へと発展しているという。
子どもたちは震災での体験や命の大切さを自分の声で伝え、戦争という惨禍を学んで帰ってくるという活動だ。その原動力は何といっても震災で悲劇を目の当たりにしたからこそ気づいた「命の重み」に対する執念かもしれない。
自然災害は人の力では止めようがないが、逃げることや助け合うことで被害を減らすことはできる。この度の震災で多くの犠牲者を出して悲観のうちに過ごす人も多いが、この記憶は後世に語りついでいくべきだ。
東北に限らず、日本各地は過去に何度も災禍に見舞われ、それにまつわる伝承や遺構、地名も多い。しかし、時が経てば昔話の一つになり、地域全体で命を守ろうという危機感は薄らいでくる。「災いは忘れたころにやって来る」のだ。
だからこそ、今の生々しい体験を語りつないでいくことは津波に関わらず災害から命を守る意識づけにつながっていく。「災いも3年経てば用に立つ」ともいうが、返せば経験から学び伝えることの重要性かもしれない。これからも世代や地域を越えて「命の重み」を伝える活動を続けていってほしい。
村田さんとの出会いはわずかな時間だったが、平穏な暮らしにあぐらをかく身では、うなずくことくらいしかできなかった。だが、心に重く残るものは確かにあった。
ところで、秋田空港から車を走らせて先に着いた息子は、娘と一緒に隣の釜石市に足を延ばして名物の海鮮丼を食べて来たと、おいしそうな写真付きでメールを送ってきた。ぼちぼち大船渡に帰ってくるころで、市役所の駐車場で合流する算段をする。
夕方には地元の人との交流会という名目の宴会が企画されている。図々しく家族で参加する予定だが、その確認もしなくてはならない。女房はそんなことよりもそれぞれが遠方で暮らし、盆、正月もなかなか全員が顔を合わせられない子供たちに早く会いたいようで、Mさんとのやり取りはまるでうわの空だ。
Mさんたちとはいったん別行動とし、交流会までは家族水入らずの時間になる。まずは娘が住んでいる震災後に建てられた応急仮設住宅に向かう。
仮設住宅は簡易的で、工事現場で見るプレハブをイメージする。その実、外から見る限りでは殺風景だ。ところが中に入ってみると意外にいい。決して豪華ではないが、風呂もトイレも今風で、まちのアパートと大差はないように見える。もちろん断熱性や防音性などは劣るかもしれないが、大家族でない限りは十分住めるな、というのが最初の印象だ。
風呂もトイレも外にある我が家よりも快適そうだ。
外から見る応急仮設住宅
息子たちが釜石市で食べた名物の海鮮丼
仮設住宅の中は豪華ではないが意外といい
