コラム「一言進言」
受賞常連だった旧新南陽市広報
~市民を知り尽くした広報課職員~
■旧新南陽市時代、市の広報は度々全国コンクールで上位に入賞していた。広報課は花形だった。報道機関の記者は、役所に行くとまず広報課に立ち寄るが、市の情報はここでたいていのことがわかった。名物担当者がいて、広報づくりに燃えていた。広報課の職員は市の隅々に足を運び、市民の小さな動きも見逃さず、広報紙に生き生きと掲載、それが結果的に受賞に結びついた。
■市が抱える問題点も取材の中で深く知ることになり、担当者は転属後もその経験を生かして公務員らしからぬ活躍をした。旧新南陽市で広報を担当した田村氏は「私は公務員でよかった。税金を使わせてもらって、市民のためにたくさんの活動ができた」と退職後、語っていた。原点は広報課で市内を走り回り、多くの市民とふれあったことだった。
■今回、周南市の広報の制作がプロポーザルで公募されたが、その選考過程に疑問が投げかけられている。一番の問題は、取材から編集まで、すべて業者に丸投げする姿勢ではないか。制作過程で業者が広報課職員にへばりつき、業者に頼り切って広報を作成している。こうした職員たちが審査して、業者が業務を提案するプロポーザル方式の選考方法がとられた。
■市は公正、中立で業者を選んだと言い切るが、直接市民とふれあわず、市民の声を聞かずして広報が語れるのか。選定委員に市民を参加させるなど、従来の広報への感覚を聞いてみる気持ちが皆無なのが問題なのだ。ちなみに参加業者の広報に関するアンケートでは、三割を超える市民が「市広報は見てない」だった。
■編集、発行の業者への委託は経費削減、行財政改革の一環で、担当職員の削減が最大の目的だと言う。市広報は行政と市民をつなぐ最大の武器だ。新庁舎には惜しげもなく百億円を投入するが、広報費は最大限削減するところに、市の姿勢がすけて見える。
■従来の広報がベストと思っている職員だけの選考で、市民にとってどんな広報なら役立つのか、市外に住む周南出身者にどんな情報を提供すべきか、市民活動をしている人たちをどれだけ勇気づけるか、市民が開いてみようと思わせる広報はどうあるべきか、新たな提案をしても、取り入れるわけがない。
■参加業者が出した外部委員も交えた再審査の要望書への回答では、自分たちは誰より「市民の視点で見えている」と断言している。このことに職員のおごりを感じるのは私一人か。本当に市民目線で行政が執行されているか、どこで検証しているのだろうか。市広報が単に予防接種の日程などを知らせるだけのものなら、プロポーザルなど大層な呼びかけは止めた方がいい。それこそ参加業者の経費の無駄使いだ。
(中島 進)
