2026年04月29日(水)

コラム「一言進言」

団塊の世代よ!もう一肌脱ごう!

~戦後75年を生き抜いて~

■ 私は団塊世代だ。団塊世代とは作家の堺屋太一がネーミングした造語だ。しっかり定着、昭和21・22年生まれから27・28年生まれの戦後のベビーブームで生まれた世代を指す。戦後まだ焼け跡が残る中、日本人はがむしゃらに復興に向けて働いていた。町中にはまだまだ戦争の傷跡が多く残っていた時代に団塊の世代は育った。

■ 広島では多くの被爆者たちがバラック住宅で生活をしていた。窓ガラスは無く、張り合わせた板につっかい棒で窓ガラス代わりに風を取り込んでいた。街の歩道には白い衣服の傷痍軍人らしき人が足を無くし、腕が無い姿で物乞いをしていた。子どもたちの多くは貧しく、常に腹をすかしていた。

■ しかし、東京オリンピックが開催される頃、日本の復興は極めて成果著しく、そこここが活気あふれていた。戦争が無かったかのように、好景気に酔いしれた。団塊世代が社会人になるころは、まさに神武景気と言われる時代で、サラリーマンたちは、仕事ができるできないにかかわらず、毎年相当な額のベースアップがあり、生活も一気に贅沢になった。

■ 確かに団塊世代は、経済が急成長する中、大量の労働力として日本を支えてきた。しかし一方で独創的でもなかったし、努力もさほどせずにご飯が食べれた。経営者として成功した人、政治家として活躍した人が、人数の割に圧倒的に少ないのが団塊世代だった。戦後75年、極めて平和な75年のほとんどで生きてきた団塊世代が、あと数年で全て後期高齢者の仲間入りをする。世代として何を残してきたのか、残念な思いも残る。

■ 中学2年生の時、同級生が亡くなった。白血病だった。徳応寺での葬儀でお母さんが棺に抱きつき「ごめんなさい。私が殺してしまった」と号泣している姿を忘れられない。被爆二世と知ったのはそのあとのことだ。広島に行き、被爆二世たちと交流を持った。彼ら、彼女らは、就職もままならず、結婚も反対で諦めていた。戦後75年はあっという間だったが、戦争の傷跡は果たしてどこまで消え去ったのだろうか。

■ 戦争の痕跡を生々しく記憶している最後の世代だ。もう一肌脱いで、戦争が起こらない、起こりにくい世の中にするにはどうしたらいいか、団塊の世代が最後の出番だ。


(中島 

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