2024年12月11日(水)

コラム「一言進言」

「杜(もり)は見ていた」のプレゼントを!

〜徳山の守り神だった。〜

先達たちの勇気と英知で今日の旧徳山市はできた。山口県の中で突出した街を作ってきたのが旧徳山市だ。その戦前、戦後を語れる黒神公直(たかなお)さんが亡くなった。父君の直久さんは日本の神社を束ねる神社庁総長まで務めたが、旧徳山市の市長としての功績も並みではなかった。

黒神さんには3年前、無理を言って10数回のインタビューをさせてもらった。徳山の戦前、戦後を語ってもらうためだ。戦前中学生だった黒神さんは、学徒動員で当時の海軍燃料廠でドラム缶運びなどに従事していた。終戦前の徳山空襲は千人以上の市民の命を奪ったが、燃料廠は特にひどかったそうだ。防空壕に逃げた級友たちは直撃弾を受け、4人が悲惨な状態で見つかった。

戦後は父君直久さんが、焼け跡になった市街地の区画整理のトップとして陣頭指揮を執り、平和通など今日の街の基礎を作り、その後の発展の源になった。徳山市長になった直久さんは職員の給料が払えないほど市の財政が窮迫している中で、競艇場の建設に踏みきった。そんな流れを傍で見聞きしていた黒神さんはエピソードを交えて話してくれた。

動物園がなぜできたか、今の時代では考えられないきっかけで開園した話など実に正確で、登場人物の名前も驚くほどの記憶力で語ってくれた。長時間のインタビューになったが、当時の人間模様まで思い浮かべられる証言は貴重な史料にもなった。なぜ出光が徳山に進出したかもよくわかる。

徳山商工会議所会頭も直久さんの後、しばらくして就任した。山口県教育委員会委員長なども歴任、徳山市の体育協会会長も含め、多くの役職を務めていた。私が感心したのは周南市誕生で新南陽体育協会と合併した時だ。新南陽は若山石油社長の藤井洋二さんが会長だったが、条件的に難しい合併にも関わらず、2人のきずなが強く無事に終えた。しかも周南市体育協会を発足と同時に会長職の70歳定年制を採用した。これには驚いた。

遠石の杜から徳山市を見守り続けてきた歴代遠石八幡宮の宮司がまた一人去った。新南陽の山崎八幡宮もそうだが、地域の神社が地域の人々の心を癒やす存在であることは今の時代も変わらない。五穀豊穣、家内安全、無宗教の人にとっても守り神だ。インタビューを収録して、「杜は見ていた」としてシティーケーブル周南で放送した。我が社の設立から随分お世話になった黒神さんから、さらに最期のプレゼントをいただいた。

(中島 

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