コラム・エッセイ
No.06 自分話し1 笠戸島は宝の島・・・大城にお越しください
独善・独言笠戸島に関わる自分話しを3題。私は美祢市の西インターから3キロ、山間部の農家の出である。
㊀昭和40年頃、高校生の時のこと、隣家のおじさんは炭鉱の閉山にともない同じ宇部興産系列の下松市笠戸島のドッグに移籍するという。なじみのない街のそれも島住まいになるという境遇を、閉山による地域の衰退という予感と相まって、悲しい思いで受け止めたという遠い記憶。
㊁30数年前に下松市に家を建てた。父親は家を継ぐべき長男が他所に住まいを持ったことに難色で、渋々訪ねてくるような状況にあった。ある日、夕日岬に連れ出したら、『この夕日はすばらしい、兵隊の時に満州でも見たことのない(満州の夕日は大陸の水平線に沈むらしい)絶景だ』とこの地に感激して私の下松市の住み家をやっと認めてくれた。
私はこのたび国民宿舎大城を経営する財団の理事長に就任した。
大城は地域住民の福祉と健康の増進、観光振興と地域の活性化を事業目的としている。その視点で就任3週間で見聞きし注目した事柄をいくつかあげたい。
驚いたのは❶の温泉利用人数である。宿泊者数を加えれば、10年半で入場者100万人を突破した光市の「ゆーぱーく光」の1年平均とほぼ同一な数値。地域に受け入れられているとうれしくなる。
❷❸の数値は全国ホテルの平均値を大きく上回る。リピート率が50%超えなのは自信になる。
❹は地産地消を基本にしており、地域経済の活性化に貢献しているといえる。
残念なのは下松市民の宿泊客数が少ないこと❺。私の周辺でも一度も泊まっていないという市民は多い。10年に一度でいいから泊まって欲しい。そして、テラスに椅子を出して夕日が島に海に沈むのを眺めて欲しい。
下松市民に夕日が期待できる日に泊まっていただく仕組みを作ってみたい。
㊂笠戸話し3題目は私の好きななかにし礼の逸品「石狩挽歌」。『沖を通るは 笠戸丸 わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る』。もちろん笠戸丸の名は笠戸島に由来する。ロシアで建造され日露戦争で戦利品として日本に。その後は移民船、漁業工船と稼働したが、終戦直前にソ連に攻撃され沈没した。
なかにし礼はこの笠戸丸をみたことがない。時代にもてあそばれたこの船の数奇な運命を、ニシン漁の盛衰に重ね合わせたのか。
私は、この笠戸の名を全国区にしてくれた石狩挽歌を、テラスで焼酎の水割りを飲みながら口ずさみたい。
一人よがりの主張を50話、1年間寄稿することでコラムを開始した。しかし、50話可能かどうか自信がなくなった。よって、いくらか“自分話し”を交えていきたい。ご容赦を。
講演請負業 阿武一治 kazuharu.anno@gmail.com
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