コラム・エッセイ
No.23 私話し4…『ブギウギ』は懐かしく、切なく、情けなく、そして平和の時代へのお告げではないか
独善・独言NHKドラマ「ブギウギ」を夫婦仲良く観ている。我が家にテレビがついた昭和30年代半ばには、笠置シズコは既に50歳前、華やかさに欠けたただのおばさん役者の印象であったが…。そこで、このドラマに関して雑感をいくつか。
㊀まず「ブギウギ」。A表はネット情報であるが、吉幾三的世界が歌と思っている私には理解の外。淡谷のり子は笠置に「本来のブルースは残るがブギは長続きしない」と言い放ったというが、ブルースもブギもジャズも“何がなんだかさっぱりわからず”状況にあって“わてほんまによう言わんわ”。
㊁B表は私も口ずさんだ「買物ブギー」の一番。大阪のど真ん中に生まれた服部良一の作詞作曲で、歌う笠置も“浪速っ子”。大阪弁が弾んでいる。『わてほんまによう言わんわ』のフレーズはスチャラカ社員やアホの寛美、てなもんやの前になじんだ最初の大阪弁ではなかったかと様々郷愁がわいてくる。
㊂その服部良一。多くを知らなかったが「国民栄誉賞」にふさわしい日本を代表する作曲家であった。B表の曲は日本の先駆者的役割をになったブルースやブギだけでなく、ジャズも七五調も中華メドレーまで幅広いことに驚く。
それにしても「青い山脈」である。西条八十の“雪割ざくら”の作詞、清潔な藤山一郎と歴代歌手で最も美しいと慕っている奈良光枝とのデュエット、若いハンサム池辺良の映画、そして胸を弾ませるイントロ…ここでもノスタルジーがあふれてくる。
㊃笠置シズコの一途さが際立つ。①大阪歌劇団から東京への単身移籍の決意、②当時タブーであったシングルマザーへの覚悟、③歌手の限界を悟った後は鼻歌も歌わないほどキッパリ歌を避けた潔よさ、そしてなにより④24歳で死んだ9歳年下の恋人の写真を一生離さなかった健気さ…切なくなる。
㊄は吉本興業のすごさである。創業110年、業界のトップを走り続けるということはそう簡単なことではない。ましてや普通の常識が通じにくい役者や芸人を従業員というか商品としてかかえてのことである。横山やすし、島田紳助、闇営業事案等々、様々問題を乗り越えてきた。さて、今回の騒動は。
㊅ドラマの脚本でひとこと。スズ子の大阪の銭湯の両親も、東京の下宿屋の夫婦も妻の夫への支配力が圧倒している。世の中の多くの家庭はこのようなバランスなのであろう。殊に稲葉敏郎の情けなさは他人ごととは思えない。
㊆『ブギは軍国主義から解放されたエネルギーの発露であった』、『何か明るいものを、心ウキウキするものをという平和への叫びであった』という評価がある。
明治維新からの80年は戊辰戦争、日清、日露戦争、一次二次の世界大戦と国民は戦のなかで生きてきた。多くの犠牲をだした。ところが戦後80年はどうであったか。
①戦争がなかった=他国との軍事緊張はかけらもなかった。
②クーデターは起こる気配もなかった。
③国内おける宗教や民族的対立は話題にもならなかった。
戦後この80年、多くの災害には見舞われたものの、戦事で亡くなっ方は一人もでなかったという奇跡…笠置のブギに聞く平和の時代を迎えた躍動は、その後のありがたい80年のお告げであったように受け止めている。
…がどうでしょうか。
講演請負業 阿武一治 kazuharu.anno@gmail.com
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