コラム・エッセイ
№62 人物考9・私の宝ものの交友録… 皆様の琴線に少しは触れることができるか
独善・独言 以下、皆様には面白くもおかしくもなくても私には宝物の話しを。
㊀先輩→大阪支店で一緒だったK専務とT先輩でゴルフをした。Kは1打目も2打目も…チョロを続け6打目にグリーンの外からチップインした。Kは『パーだ』と言う。私は『おそれながら』と断り『今のはボギーですよ』と正しく告げる。するとKはTに訊けと言い出す。私はあきらめてニクジを返す。『あなたのことを神様と慕っているT先輩に振っても結果は明白、訊く前からパーーだパーだと言っていますよ』と。
3人で酒を飲む。K専務は『大阪時代はよくお客様廻りをしたもんだ』と懐かしむ。そばのT先輩は大きく頷いている。私はまたも義憤にかられ『おそれながら』と断って『確かに机にすわってよく勉強をしておられたが、お客様営業をされたような印象はない』と正しいことを告げる。するとここでも『T君に訊いてみよう』である。
2人が共に師と学んだK氏は90歳前に亡くなった。T先輩と私は毎年春秋2度ほど酒を交わし、飲める健康を確認しあう。
㊁お客様→20年前、85歳、医院経営のN氏から頼まれごとをした。山口中学のときに光の海軍工廠に勤労動員として派遣された。そのときに徳山高女の娘さんに恋をして交際した。疎開していた須々万まで訪ねたこともある。彼女が今どうしてるか調べてほしいというもの。私は終戦直前の空襲の惨状を聞いていたので、こんな環境でもロマンは生まれたのだと猛烈な興味をおぼえて調査した。そして『呉の方に嫁いで亡くなられたそうです』と報告したら氏のその落胆ぶりは予想を超えるものであった。当時から70年近い歳月が流れている。珠玉の想い出とはそのようなものなのかと50歳過ぎの私は理解できない思いであったが、75歳になった今、いくらかその境地がわかるようになってきた。
㊂企業人→これも20年前、周南市の有力会社の会長に『奥様を亡くされてどのような思いですか』と訊ねたら『ホメてくれる人がいなくなりましたね』と想像を超えた返答。このように功なり名を遂げた人物でもそのような思いになるのかと神妙な気持ちになった。
今さら我妻にお願いしても…。
㊃同級生→70年前、故郷の山里に貧しかったが勤勉な家庭があった。小学5年のときに同級生の三男から『親から買ってもらった』とうれしそうにみせられたグローブは、仲間のものとは比較にならない粗悪なもので、貧乏とはこんなことなのかと胸に刺った。
4人の子どもたちは小学校高学年になると新聞配りを始めた。田舎のことで配達範囲は広く高低差も大きい。何時から始めるのか何時間かかるのか。子ども達の頑張りもあってか、その一家は貧しくても一目おかれる存在であった。
兄弟中3人は都会に勤めて一家をもった。同級生の三男が家を継いで土木業を起こした。私は彼の婚礼で『4人のなかで一番学校の成績が悪かったトシちゃんが一番成功した』と持ち上げたが、健康を損ねて事業に失敗、70歳過ぎて亡くなった。大阪で教師をしていると聞く長男に看取られての往生であったらしい。安堵する。
私は聞いていない…新聞配達の辛苦は人間形成にどう生かされてきたのかを。きっとほかの3人も子どもの頃と同じおだやかで篤実な爺様になっているであろうと想像している。また、そうでなくてはならないとも思う。
㊄家族→母子の車がパンクして立ち往生していたら近くの車両販売会社の社員Sがあっというまにタイヤ交換してくれた。料金を請求したら『困った方をお助けしただけですから要りません』と受け取らない。その爽やかなやりとりを記した作文が町の小学校の特選になってその会社のK社長の耳に届くこととなった。Sは社長表彰を受けた。K社長はビックモーター社の社長のこと、Sは私の娘婿しんちゃんのこと。
以上、私の琴線話しです。
…どうでしょうか。
講演請負業 阿武一治 kazuharu.anno@gmail.com
