コラム・エッセイ
No.76 世襲について考えて…ガチンコ勝負=本物の勝負のなかで「貴ノ花」の唯一例をどう見たら良いのか
独善・独言「世襲」というタブーに触れてみたい。まず、『親も一流子も一流』であるという事例がまことに希少であいうことを示したい。
㊀世の中には“がちんこ勝負”という世界がある。出自もお金も縁故も無縁の実力勝負…典型は将棋や囲碁のプロの世界。藤井聡太の親が将棋のプロではないし、これまで親も子もトップ棋士であるという例はゼロなのではないか。
㊁普通の家庭の男の子が最初にあこがれるのは親の職業であろう。プロ野球選手の子どもはまずバットとボールで遊ぶ。それなら親も子も一流選手という事例があふれていてもおかしくない。だが実力勝負のプロの世界ではゼロ。長嶋の子一茂も野村監督の子克則も記憶に残る実績は皆無であった。
㊂さらにガチンコは大相撲の世界であろう。相撲の競技人口は野球とは比較にならないほど少ない。プロ力士の子がプロになる率は他の競技と比べると格段に高い。一流力士のほとんどが親も一流であったというケースがあふれていてもおかしくないが…。A表は春場所の幕内力士33人中親も力士であったのは3人だけで、それぞれの親は一流力士とはいえない存在であった。正にガチンコ世界には世襲が通用しないことを示す。
㊃しかし、ここには例外がひとつだけある。一流=大関の子が二人も横綱=超一流になっているという貴ノ花親子の事例である。たとえ万が一つであっても『本物勝負の世界では世襲は絶対通用しない』という私の“絶対論理”を打ち砕くものであり、貴ノ花親子の存在は崇高といえるものかもしれない。
そこでは世襲の個々に触れたい。
㊄中小企業の世襲率をチャットGTPに訊くと60~70%との答えがあった。私のイメージに近い。一般的に経営者の長兄は生まれながら家業を継ぐことが前提で育てられ、トップになれば先代を超えることに必死にならざるを得ないという“宿命”を背負わせられている。この家業継続は以下の歌舞伎や政治家と違い重いものがある。
㊅名跡を継ぐことが決まりごとになっている歌舞伎の世界には違和感がある。梨園はたとえば市川新之助→海老蔵→團十郎と受け継いで他人の入る余地がない閉鎖社会。そこには芸の力の判断基準はあるのか、芸というあいまいな世界だからこそ世襲が通用するのではないのか、周囲には彼らより優れた芸達者がいるのではないか…とアマノジャクに思ってしまう。
B表は下積みから大成した名優であるが、その息子達で親を超えた存在は一人もいない。絶対の評価基準のない芸の世界でも世襲は通用していない論拠にならないか。
㊆茶道や華道などの世界はどうか。私からみれば所作の価値判断が絶対でないあいまいな世界。後継者選びのなかで真の実力というものはまったく考慮されないのか。
宗教や倫理教宣の世界も世襲がまかり通っているように思う。しかし、正しく教理を継承するという観点でみれば、世襲を排除して最も優れた伝道者を跡継ぎに選択するという事例が増えてもおかしくないのではなかろうか。
㊇最後は政治。小選挙区選出の衆議院議員全員が世襲である県内の状況からして触れたくはないが、あえて言えば…世襲は野党議員に比べ自民党に圧倒的多い。この“自民党的体質”は今回の10万円騒動と同根の甘えであって、今は大したことではないと容認されてもいつまでも通用するとは思えない。
もう一つ…常時ガチンコ勝負=ギリギリの選択を迫られる首相の座は親も子も超一流でないと務まらない。今の小泉進次郎にトップに相応しい実力が備わっているとは思えないが、それでも“万が一”の貴ノ花親子の貴重例がある。今後にエールを送りたい。
偏っていますか…どうでしょうか。

