コラム・エッセイ
しないよりは
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子かつてTVで絶大な人気を誇りながら、人的交際の不祥事が元で突然の芸能界引退となったSさん。
人気絶頂期の番組の中で、趣味で特技の洋画作品を番組中でオークションにかけ、落札額を海外の戦争犠牲者の子ども達のための学校建設の資金として提供していて、作品も素人離れしたなかなかの出来映えだったが、主旨への賛同もあってか、びっくりするような金額で落札されるものもあった。
当時のSさんの稼ぎに比べればそれでも大したものではなかったのだろうが、現地の人にとっては有難いことだっただろう。自分が直接寄付するのでなく、趣味の作品を自身の人気を通じて落札者のお金に換え、現地に届いて学校が建てられる。なかなかいい方法だと思うと同時に、「げすの勘ぐり」で何か打算の影も感じたりもした。
そんな視聴者の思いを承知していたかのようにSさんが番組の最後に語ったのは「自分の人気を利用して作品を高く売り、そのお金で自分の好印象を高めようとする。売名行為ではないかと思われるかもしれない。実はそうかもしれない。でも、それで現地の学校を建てるお金になるのなら、売名行為でも、しないよりはした方がいい」という言葉。番組を通じて現地の窮状を訴え、視聴者の寄付を募ることもできる。それも売名行為かもしれない。
しかし、芸能人の趣味とは言え、その作品の価値と作者の思いを明確に落札者のお金に換え現地に届ける方が効果はより確実だ。たとえ出発点は売名でも、「しないよりは、した方がいい」。確かにその通りだと頷けた。どんな社会奉仕活動も敢えて分類すれば本人の意志にかかわらず全て売名行為になってしまうが、それでも結構。全て「しないよりはした方がいい」のだ。
ただし、それは自分の他の行為の言い訳や免罪符にならない。Sさんも結局は不祥事が元で芸能界から姿を消すことになったが、この「売名行為」で擁護されたり許されることはなかった。
このことを今思い出したのは、ようやくやって来た秋が芸術の秋に重なったからではない。「自国ファースト」を旗印にやりたい放題の某国大統領が「私がノーベル平和賞を受賞すべきだ」と公言し、世界の紛争に口出しし、自国に有利な取引を絡めながら、紛争停止を進めようとしているからだ。
第三者には、彼の目的は、紛争被害者の安全・安心確保ではなく、自国の利益獲得であり、自分がノーベル平和賞受賞者になることだと分かりきっていて、まさに「売名行為」なのは明らかなのだが、紛争被害者にとっては紛争停止は望むところだから、紛争停止は「しないよりはした方がいい」事に違いない。
これをノーベル賞委員会がどう評価するかは、委員達にお任せする他はないが、この大統領に伝えたいことは、たとえ平和賞受賞しても、それで彼の悪行三昧が帳消しにはならないということ。あのSさんも美行への賞賛が不祥事の免罪符とならなかったことを、日本国新総理から是非伝えていただきたいと願っている。短い秋はもう終り。
(カナダ友好協会代表)
