コラム・エッセイ
セメントプラント建設
日本の高度成長時代の思い出 元・徳山大学理事長 池田和夫これまで仕事に目標を定め生活して来ましたが、いつの間にか 79歳になりました。 仕事は一段落したので のんびりしようとした矢先、自分の不注意で腰を痛めてしまいました。自宅に居る時間が増えたので、本紙の中島社長さんから「これまでの仕事について自分史を書いたらどうか!」と誘われましたのでペンを取りました。本紙に掲載されていた『いつも愉快な走れおばさんの中村光子さん』や、『文化の薫り高い文化協会長の西崎博史さん』その他の方のように読んでもらえるか疑問ですが、取りあえず書き始めました。
私は昭和42年3月、大学を卒業すると同時に、就職のため旧徳山市にやって来ました。 当時 徳山駅前は寂しい田舎で がっかりしましたが、会社で仕事を始めると直ぐに楽しくなりました。 大学では機械工学を勉強したので、会社では、セメント工場建設に関ることになりました。当時は高度成長時代だったので、次々に大きな仕事を任されました。セメントプラントでは 1基目が約30億円、2基目が約60億円、3基目は約120億円かけて メーカーや建設会社に発注しましたが、当時の我々スタッフは 20数人と少ない人数のみ。忙しいけど やりがいがありました。
その時、某装置メーカーに勤める 大学の先輩にあたる人から「新しい設備を作る時は、先人の真似をするのでなく、その中に自分の考えや、新しい技術を入れること。」と教えられたので、可能な限り守っていました。
セメント大型プラント3基は、完成後、後輩たちが大事にメンテナンスをしてくれているので、50年経った今でも、品質の良い大量のセメントが生産されているのは嬉しい限りです。
ある日、建設中の現場を歩いていると、誰かが大声で、「あーっ! 大変だ! 」「タワーが崩れてくる! 」その方を見ると、高さ70mの新しい巨大なタワーが、自分の方へ倒れかかって来るではありませんか! 「あっ! あぶない! 」「早く逃げないとタワーの下敷きになる! 」……目の前が轟(ゴウ)音と共に真っ暗になった時に目が覚めました。 「えっ! 今のは夢! 」びっしょり汗をかいていましたが、「夢でよかった! 」と胸をなでおろしました。
もう二度とこんな恐い夢は見たくないと思っていましたが、何カ月か後に もう一度夢の中で70メートルの巨大タワーが倒れ掛かってきました。
私の専門は機械工学ですから、機械メーカーに仕事を頼む時は色々参考にさせてもらい自分の腕を磨きました。その中で、ある機械屋さんが、「日本の技術者は、今ある装置を改良し、能力を増やしたり、性能を高めたりするのは得意だが、誰もやっていない新しい物を作り出す技術は劣っている。」と言っていましたが、確かに日本人技術者にはその傾向がありますので、反省させられました。
セメント製造プラントは、当時、日本の大手重機械メーカーが腕を競い合っていました。海外メーカーでは デンマークの F社が力を入れていたので、調査のため海外出張に出かけました。本社のある デンマーク、コペンハーゲンで打ち合わせをやった後、このF社がポルトガルに新しいプラントを納入したので、足を延ばすことにしました。 案内は F社技術者のデンマーク人。50歳くらいのロマンスグレー。言葉は、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語等、5〜6カ国語を話すのが自慢の人ですが、私にとっては日本語を話す人でないと何の有難味もありません。慣れない英語で頑張っていましたが、4〜5日一緒にいると 英語が私の口から自然に出てくるのは不思議でした。(20年以上経った今、私の口から自然に出てくるのは日本語だけです。) ポルトガルの工場の視察を終え、リスボンの街で2人で夕食を取ることにしました。
レストランが数十軒、軒を連ねて、仕事帰りや観光客に対し、「さあ! うちへいらっしゃい! 」「ワインや料理は絶対負けないよ! 」と体格の良い、白い割烹着を着たコックさんが、店の前で呼び込みをやっています。 感じの良さそうな店に入り、前日から案内をしてくれたデンマーク人に「お世話になったから、今日の夕食は私が奢るよ。」と言って食事を始めました。
店の裏には ブドウ畑が広がり、そこから作ったワインは 店のコック長が自慢するだけあって、上品な味わいで 特別にうまいワインでした。 大西洋に面したポルトガルは、料理が日本人好みの味で、おいしいので、満腹になるまで飲んで食べました。
私が払うと言ったものの少し心配になったのですが、請求書を見ると一人当たり日本円で約2,500円で、安いのにびっくり。 店を出ると、沈みかけの太陽がポルトガルの街をつつみ、風が爽やかで大満足でした。
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S43 セメント工場建設現場
