コラム・エッセイ
No.3[リビアでカープファンに]
日本の高度成長時代の思い出 元・徳山大学理事長 池田和夫現地のリビア人はアラビア語を話します。そこで セメントプラントの運転方法を教育するのですが、私は必要なアラビア語を手帳に書いて「スイッチ 入、切、温度上げ、下げ、」等の単語をしゃべり、あとは表情で表します。特に怒る時は大声の日本語です。「何サボっているのだ!しっかりパネルを見ていろ!」「それは昨日教えたじゃないか! 馬鹿野郎!」。日本語は理解できないけど、私が怒っているのは分かるのでしおらしくなります。
数カ月すると、叱っている日本語を少し理解して「池田が私を馬鹿と叱った!」と日本人総監督に言い付けに来たので「馬鹿という意味は、しっかり頑張れという意味もあるんだよ」と総監督が言うと、納得して帰って行きました。
プレハブ住まいの夜は殆んど暇なので、約15人の『日本人が協力して作ったビール』を飲みながら、M重工広島工場から送ってくる1週間遅れの野球中継ビデオを楽しみます。広島工場の人が多かったので、殆んどの人がカープファン。ビデオを見ながら応援は赤ヘル音頭の大合唱…。半年一緒にいる間に私もすっかり影響を受け、広島カープファンの気分でした。
リビアでは時折 砂嵐が来ます。遠くの地平線が赤茶色に染まり始めると、住民は嵐が通り過ぎるまで家に閉じこもります。窓という窓はテープで目張りをしているものの、一夜明けて砂嵐が過ぎると机の上には一面赤茶色の細かい砂が乗っています。普段 街の中の道路は、あちこちゴミが散らばっており「汚いな」と思っていましたが、砂嵐が来ると、みな吹っ飛んで綺麗になっていました。
地中海の周りの都市はその昔ローマ帝国が全て支配したことがあるので、リビアにもその時代の遺跡がところどころに残っています。残っているのは建物の基礎や柱ですが、大きな共同風呂がありました。ローマ人は風呂好きだったようです。
リビアの街に出かけた時に、一度だけ散髪屋に行ってみました。目の前の鏡は半分割れていて、イスも古くて硬い、座ると1年以上洗濯したことのないような汚れた布を首にまいて、ハサミを入れ始めました。目を閉じてやってもらっていましたが、しばらくして目を開けて破れた鏡を見ると私がリビア人の顔に変わっているのでビックリ! 途中でしたが、「シュクラン(有難う)、シュクラン」と言って、お金を払って逃げ出してきました。変な髪型が直るのに2カ月かかりました。
セメント工場が完成したので、当時のリビアの最高権力者 カダフィー大佐が視察に来ました。当時のリビアの国旗は、模様なしの緑だったので工場内は旗がなびき、緑一色になりました。地平線まで真っ直ぐな道路には約20メートルおきに銃を持った兵隊が並び、工場の周りには戦車が来て空を見張っています。軍事独裁政権でも、見えない敵が恐ろしいようでした。
日本人宿舎の娯楽室にて
テレビは面白くないのでもっぱら日本から送られてきたビデオを見ます。私はリビア人を指導する立場上、威厳を保つためヒゲを生やしました。
