コラム・エッセイ
[男声合唱団メールソレイネ]
日本の高度成長時代の思い出 元・徳山大学理事長 池田和夫リビアへの出張の話が出た同じ頃、地元に作る合唱団への勧誘がありました。学生時代に合唱の経験があり、30歳を越えてもう一度やりたいと思う男性数人が「合唱団を作るので一緒に入ってくれ」と話を持ちかけて来ました。私はリビア出張で頭はいっぱい、合唱どころではないので「リビア出張が半年なので、帰って来て合唱団が続いていたら入ってもいいよ」と返事をしました。どうせ合唱団は半年も続かないだろうと思っていました。
ところが、半年経って日本に戻って来ると、合唱団が練習しているではありませんか! 約束した手前、合唱団に入りました。
合唱団に入って1年くらい経った時、団長をやっておられた高校の先生が急逝され、団長のおはちが回って来ました。それから約10年間、東京転勤の辞令が出るまで団長を引き受けました。
合唱団員は会社員や学校の先生で男性のみ。練習のあとワイワイと一杯飲むのが楽しみで入っている人も多かったのですが、歌う方も次第に上手になりました。舞台で演奏する機会も増えて、しかも文化会館の大舞台で自前のコンサートをやるまでに成長しました。
私は合唱団が舞台で演奏する時、全員が指揮者を見ながら直立不動で歌うのがキライだったので、皆に相談して、ミュージカルをやることにしました。
第4回の定期演奏会は、「徳山弁のシューベルト」で小手調べ、次の第5回定期演奏会は、男だけでやる「ミュージカル“キャッツ〟」にしました。台本は、本物の“キャッツ〟の楽譜から、我々に合う所のみを取り入れて物語を作りました。
そこまでは私の仕事ですが、舞台で歌って踊ってお客さんに感動してもらうには演出家が必要です。ちょうどその頃、Nさんという男性で、若い人にダンスを教えて劇団「四季」などに送り込んでいた才能豊かな人がいましたので、この人に依頼しました。
また、伴奏はオーケストラ(と言っても、高級なエレクトーンを使ってプロが演奏すると オーケストラそのままの素晴しい音楽ができます。)、衣装は団員の奥様方の手作り、舞台の大道具・小道具は文化会館のプロ、これを舞台上で指揮者がまとめます。
団員は慣れない歌や踊りに、練習の次の日は、「足が痛い!」「腰が痛い!」という人が続出しましたが、最後には全てを達成し、1,200人の観客の前で演奏した時は、立派なミュージカルになりました。
その後1年半おきに「アラビアンナイト物語」「西遊記」「義経と弁慶」とやりましたが、私は東京転勤となり、後輩が受け継ぎました。残念なのは、コロナ禍になると、殆んどの合唱団が中止にならざるを得なかったことです。
