2026年07月27日(月)

コラム・エッセイ

第16回 スペイン・インフルエンザ「第二波」と山口県民

大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐

 前回はスペイン・インフルエンザ「第二波」が、1920(大正11)年2月に入っても猛威を振るっていたことを紹介しました。今回は、その続きについて見ていきます。

 第二波の『防長新聞』の報道で特徴的なのは、今まで全県的な話や市町村レベルの罹患状況が報道されることが多かったのに比べて、家庭レベルの話が頻繁に報道されるようになることです。例えば、2月7日には、「一家四名相次いで流感で死亡す」(流感はインフルエンザのことです)という記事が掲載されます。

 これはある警察官がインフルエンザに罹患し、玖珂郡由宇村(現岩国市)の実家で療養していたものの、肺炎を併発して亡くなり、さらに家族全員が罹患してしまったことで八か月の赤ん坊含む4人がなくなったという悲劇でした。

 2月13日には大島郡屋代村(現周防大島町)、玖珂郡広瀬村(現岩国市)、熊毛郡伊保庄村(現柳井市)、熊毛郡室積町(現光市)でインフルエンザの猛威が報じられます。山口県全体もですが、山口県東部の猛威の状況が重点的に報じられます。それほど、この時期の山口県東部の蔓延状況がひどかったのでしょう。

 2月後半の記事はあまり多くないのですが、どのような状況だったのでしょうか。2月25日に掲載された記事では、大島郡の状況が報じられます。その内容は、1月初旬より屋代村(現周防大島町)でひどく蔓延したインフルエンザは、1月初旬から広がったもので、2月下旬になってやっと収まりつつあるということを報じています。記事では、1月中に17人、2月中に14人亡くなっていることが報じられます。

 1921年版の『山口県統計書』によれば、屋代村の本籍人口は5,266人でした。2か月の間に約0.6%の人が亡くなってしまっていたのです。約0.6%というと低いと思われるかもしれませんが、例えば1億人規模で考えれば60万の人が2か月間で亡くなっているのです。かなり高い死亡率と言えます。

 では、屋代村の事例は日本でも厳しい状況であったかというと、屋代村よりもひどい地域があったというのがスペイン・インフルエンザの怖いところでした。

 1920年1月2月のスペイン・インフルエンザの蔓延はひどいものでした。3月に入ると、ようやく改善の兆しが見えるようになるのです。

1920年2月25日『防長新聞』=県立山口図書館所蔵

LINEで送る
一覧に戻る
今日の紙面
山口コーウン株式会社

「安全で 安心して 長く勤められる会社」をスローガンに、東ソー株式会社等の化学製品を安全かつ確実にお届けしています。安全輸送の実績でゴールドGマーク認定を受け、従業員が安心して働ける環境と「15の福利厚生」で従業員の人生に寄り添っています。

ピアレックス

遺品整理でお困りではないですか?県内出張見積は無料!不動産売却や空き家じまい(解体)もお気軽にお問い合わせください。

スバル合同会計 周南事務所

相続時や建物の購入売却時の相続税・資産税のご相談。
大切に育てた事業の譲渡や事業の拡大にむけて、複数の専門業者との提携で、お客さまの求める結果を一緒に目指します。

東ソー

東ソーが生み出す多種多様な製品は、社会インフラや耐久消費財など人々の生活に役立つさまざまな最終製品に使われています。総合化学メーカーだからこそできる、化学の革新を通して持続可能な社会に貢献していきます。