コラム・エッセイ
No.48 改めて知る“日常”
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子27年前の1月17日は、阪神大震災があった日だ。私は27年のその日の早朝、フランスパリのホテルのベッドで見ていた。悲惨な映像に身が震えた。
私は、結婚した時から、苦難の道が待っていた。夫の大病での長い入院生活、そして死。娘も同じ時期に病気をした。
50代半ばになり、暮らしが少し落ち着いたので、自分に褒美、のつもりで海外旅行に出た。地元放送局主催のフランス旅行で、知っているひとは、アナウンサーだけだった。旅行中に沢山の友人が出来、日本の大地震など忘れて旅を楽しんだ。
帰国後、2週間ばかり過ぎたある日、弟が電話をして来た。
「姉ちゃん、僕たち夫婦は、今、京都の女房のお義姉さん家で、やっかいになっているんだよ」
「あら、どうして?何かあったの?」
「大地震だよ。勤務先の会社貸与が高級マンションだったので被害はまぬがれたんだけれど、水が出ないので義姉さん宅に避難しているんだよ」
能天気に旅を楽しんでいた私は、神戸に住んでいた弟夫婦のことが、頭から抜け落ちていた。
さあ、それから、食料や衣類等を荷造りしながら、自分の馬鹿さ加減を大いに反省した。
以後、弟の女房殿は震災の1月17日が近づくと、怖さを思い出し落ち込んでいたようだ。
時々、私は電話で様子をうかがってはいたが、何の手助けも出来ずにいた。
ある日、弟から電話がかかった。
「姉ちゃんと話をすると、気分が良くなり落ちつくんだよ」
「それなら、お安い御用よ。役立つのなら」
いとも簡単に引き受けた。やがて、その心配もなくなってきた。
そして、そして、この1月15日、南太平洋トンガ沖の、海底火山が大規模噴火した。テレビではひと晩中、噴火の様子を流し、日本沿岸にも、津波が押し寄せる、と、放送を流し続けた。
トンガという国の名前は知ってはいるが、その正確な位置や、国の情勢にはうとい。私はテレビにかじりつくようにして、朝まで見続けた。
幸い、と言って良いかどうかだが、四国が防波堤の役目になる位置関係にある山口県。少しばかり安心した。それにしても、8千キロも離れたところから津波が押し寄せるとは…考えられない…ことだ。
幸いにも、大事に至らずにすんだ。
思い残すことのないよう、1日1日を大切に生きること、の覚悟が大切なことだと知った日であった。
