コラム・エッセイ
No.77 百歳体操・次の1年に向かって
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子昨年の8月(2021年)、中央地区社会福祉協議会の会長、大山政夫氏から、我が家の2階を“百歳体操”の会場として貸して下さいませんか、と言う相談を受けた。
今のところ、私の尊敬する空手の空先生が使用されているだけなので、空いている日でしたらどうぞお使い下さい、と申し上げた。
恥ずかしながら、無知な私は、それまで百歳体操が、いかなるものかも知らなかった。
そして百歳体操がはじまったのだ。13人の方が参加されてから、毎週木曜日に約40分間の体操教室が始まった。
若い男性と女性の模範演技のビデオを見ながら、真剣に、かつ楽しく体操をしている。
私は若い頃、と言っても、30代後半頃からジョギングを始めた。バレー仲間のK子さんと産業道路を走り始めたのだが、彼女はやがて、全国大会に出場するほどの走者となった。今でも彼女の記録、200メートルと5千メートルの記録はやぶられていないと思う。
反対に、チンタラランナーの私はフルマラソンや100キロマラソンに挑戦したが、決して途中棄権だけはしなかった、ことだけが自慢であった…のです。
下手なバレーボールにもうつつをぬかしていたら、ひざを痛めてしまった。長年の持病になっていたが、百歳体操のおかげで、少し痛みがやわらいできた。百歳体操はそのあたりをしっかり考えて作成されているのだろう。
そして言いたくはないが、参加者の中で私が最年長者のようだ。トホホのホだあー。
過日、百歳体操が1周年を迎え、ひとりの落伍者もなく続いたので、そのお祝いの会が開かれた。
市役所から、福祉課の方たち、他地区からの見学者、周南公立大で福祉の勉強中の学生も来られ、大いに盛りあがった。社会福祉協議会からはお土産もでて、皆、大喜びであった。
体操の後、急ぎの用事のないひと達と、階下の“我が遊び場”でコーヒータイムをした。この日は、何人もの方が残って下さった。緊張して、あまり上手に入れることの出来なかったコーヒーだが、皆さん黙って飲んで下さった。
ぼちぼちと断捨離してはいるが、根がケチな私だから、なかなかうまくゆかない。
その日、昔、自費出版した詩集や、雑文集走れ!おばさんの本がまだ少し残っている。
市役所の方や、周公大生に、押しつけるようにしてさしあげた。学生さんは、裏のページを開いて言われた。
「私、この年に、生まれました」
私「…。…。」
