コラム・エッセイ
No.80 空先生は喜寿を迎えられました。
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子9月26日の月曜日は空手の稽古日だ。その日、空手の稽古を早めに終え、数日遅れの空先生喜寿のお祝会をした。先生に気づかれることなく“コト”を運ぶのは難しいが、優秀な弟子達(?)は心得たものであった。
「先生の喜寿の会を細やかに開きたいので少し早めに稽古をやめさせて下さい」
小さなケーキと小さなバラの花束、それぞれ自分の空手に対する想いを張りつけた大きなメッセージ紙を、うやうやしく差し上げた。
更に、娘が言った。
「空手を習い始めてまもなく30年になります。その時はとっても楽しい会になるよう計画しましょう」
逆算すると、私は50歳を過ぎた頃から、空手を始めた。それまでは、チンタラランナーで、西に大会があれば飛んで行き、東で長距離ランがあると聞けば泊りがけで参加を申し込んだ。
「まあ、走れ!おばさん、お金と暇があるんだネエ」
少し皮肉にも聞こえる言葉だが、走ることにうつつを抜かしていた私には、馬の耳に念仏であった。
最初から空先生の素晴らしさを知るよしもなかった。他の会で知り合ったのが、我が家の2階でレオタード姿で飛んだり跳ねたりしていた。時々、空手らしい技を入れておられた。その内、空先生が有名な空手家であることを知り、本格的に習うことになった。
その頃、娘は遠く大島郡に居住していたが空手の稽古にきて、また大島まで帰っていた。
それまでの生活が一変して、空先生の指導の厳しさと魅力にはまった。だが、軽薄な私は「わたし、カラテ、習っているの」と、会う知人・友人にふれまわったもの…です。
空先生の生き方、いや生きる姿勢・人柄はつたない筆では、表現することがむつかしい。
私のこれまでの人生の中で、敬愛する師に出会った方のひとりです。
長い間習っていても技が理解できず、何度も同じ質問を繰り返す。すると、先生は初めて聞く質問であるかのように「そこはこうです」と、自らがやって見せてくださる。もし、私が先生の立場なら(そ、そんなことはないが…)
「何度、教えたらわかるんですか!」
と語気荒く、差し出した手をパチンと叩くかも知れん。いや、きっと叩くにちがいない。
先生は、皆の寄せ書きと、小さなバラの花束を胸元にそっと抱き、不肖の弟子達に深々と頭を下げられた。おどろいた不肖の弟子達は、直立不動だった。
我々、いや、私はたとえ腰が2つに曲がっても、空手だけは続ける。
