コラム・エッセイ
No.87 本棚を整理していたら…。
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子断捨離をしていると言えば格好いいが、遅々として進まないうちに、2年も過ぎた。
過日、思い切って愛してやまない本を処分した。須々万で古本屋を営んでいる同級生のI氏に、軽トラック1台分、引き取って貰ったが、まだ本棚には未練のある本がある。
先日、少し透き間の出来た本棚で、折り目のついていない本を見つけた。『富中・五十年のあゆみ』(平成9年11月2日発行)とあるが全く記憶にない。
ページを繰りながら懐かしい写真や記録に目を通していたら、ナ、ナント、私の雑文が載っていて驚いたあ。
そう、私は名門富田中学校・昭和30年度の卒業生だ。50年史が発行された事も雑文を書いたことも覚えはないが、書いてある雑文には覚えがある…のだ。
『私が中学2年生の時、現在の富田西小学校へ、中学校を移転した。未だ、荷馬車が健在な時代で、膨大な荷物運搬に馬車が活躍したのを覚えている。生徒は自分の椅子を自分で運んだ』
と、記している。遠い昔の話だ。今だったら、長い道のりを子供に、いえ、生徒に運ばす事なんかないだろう。思い出した。椅子を運ぶ道中、何度も腰を掛けては、休んだものだ。
続きに、陸上競技で短距離選手として県大会に出場した時の哀しい思い出を書いている。私の母は、弟が1歳・私が3歳の時亡くなり祖母に育てられた。母は養女だったから、祖母と私達は血のつながりはなかったが、60歳過ぎての子育ては大変だったと思うが、大好きなおばあちゃんだった。富田中学校から出場した女子は私だけだ。
大会の前々日、1足しかない運動靴を洗ったので、土曜日は下駄を履いて学校へ行ったら、その日に、県体出場者のために壮行会が開かれた。
下駄履きで、全校生徒の前に立ち、泣きたいほど恥ずかしかったことを、今でも鮮明に覚えている。祖母に頼めば買ってくれただろうが、何故か言い出せなかった。
それは…きっと、質素倹約を、旨、としての暮らし振りを知っているし、町で再婚して暮らしている父は、年に2度養育費を持参するが、靴が欲しいと言えなかったのだろう。
50年史をめくりながら、そんな事までも思い出した。
『その日、校庭で県大会出場選手の壮行会があり、私は慌てた。裸足で出ようかと迷っているうちに、その機も逸し全校生の前に下駄履きで立った。顔から火が出るほど恥ずかしく、その時の頬のほてりの感覚は今も忘れない』と、記している。
