コラム・エッセイ
No.89 いつか、そう、いつか私も…
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子“錯乱”という言葉を辞書で引いてみました。“晴天の霹靂(へきれき)”という言葉も引いてみましたら“晴天”は、学のない私の思い違いで“青天”でありました。
いきなりの、変な書き始めで御免なさい。
只今、私は、青天の霹靂の中、錯乱してこれを書いています。
東広島在住の飛びっきりの美女・Y女史と知り合ったのは、かれこれ40年前のことです。彼女は、東広島で高級呉服店を経営していました。一方、私は徳山の町の片隅で細々と婦人服を商っていたのですが、なぜか気が合い長いお付き合いになったのです。
40年前、お互いが出入りしていた問屋招待の旅行に行き、一緒にお風呂に入った時、彼女の高級指輪が抜け落ちてしまった。彼女がその事に気づいたのは私が高級指輪を拾ったあとでした。私は素知らぬ顔で、夜の宴会席で、伏せてあったお杯の下に指輪を忍ばせておきました。
「それでは、乾杯」という音頭に合わせ杯を取り上げ、指輪を見つけた彼女は奇声を発し、その場は大盛り上がりでした。益々、2人は仲良しになりました。
私は何度も彼女の家を訪問したものです。呉服屋の他に、テニスコート場も経営していて、15、16面もあるコートには、近くの広島大学の学生さん達も練習に来ていました。
ここ10年ばかり、お互いに歳を重ねたからでしょうか、3日にあげず、電話での他愛のない話で、あるいは、近況を語り合ったりしていました。
ところが、この1週間ばかり、電話がなく、私も雑事に忙殺され、電話をしませんでした。その事に気づいた私は何度も電話するのですがつながらないのです。
落ちついてよく見ましたら
「こちらにお電話を下さい」と、知らない電話番号が出た。ためしに電話をしてみた。
「Yさん宅ですか?」
「はい、私は娘です。母は亡くなりました」
「…」思いもしない事に、私は言葉を失ってしまいました。
いつ、お亡くなりになったのか、とも、ご病気だったのですか、とも、死の原因は何だったのですか、とも、問えず聞かず、受話器を握りしめていました。
“死”と言うものはこのようにして、何の前ぶれ(私にとっても)もなく…このようにオトズレル…のでしょうか。
私は何も聞くことなく受話器を置きました。それは…それは…聞いても仕方のないことのように…思えたからです。錯乱しながらこれを書いています。
いつか、そう、いつか私もこのように果てるのでしょう。
