コラム・エッセイ
室積の歴史
翠流▼7日に掲載した光市室積を取り上げた金曜記者レポートで、その歴史について歴史好きの読者から指摘があったので訂正、補足したい。まず室積に山陽道が通っていたと記述したが、光ふるさと郷土館の「海商の町室積の歴史を訪ねて〜港町室積ミニガイド」などによれば「瀬戸内海の良港」だったが、山陽道からははずれていた。
▼中熊毛宰判勘場を郡役所としたが、宰判は藩制時代の長州藩独自の行政区分で、勘場はその代官所。中熊毛宰判は熊毛、上関宰判の一部を分離して宝暦13年(1736)に設けられたが、陸路では不便だったため11年で解消された。一方、明治維新後、熊毛郡役所が室積に置かれたこともあったという。
▼第二奇兵隊は室積で結成されたように書いたが、その前身の真武隊が室積に今もある専光寺で結成され、普賢寺に本営を移して南奇兵隊と改称、石城山に移って第二奇兵隊になった。もう一点、藩撫育方御蔵会所跡としたが、現地の標石には「長州藩撫育方室積会所跡」とある。
▼先日、山本幸三地方創生担当大臣が地方創生のためには「学芸員を一掃しなければ駄目だ」と発言した。しかし文化財保護、公開の場で出会う学芸員はいずれも地域活性化へ、専門的知識を生かして懸命で、教えられることばかり。政治や行政の理解がもっと必要と感じることの方が多い。地元の市民が歴史を知ることはふるさとに誇りを持つことになり、地元以外へ発信し、広めることは交流人口の増加につながる。今後も積極的に取材したい。(延安)
