コラム・エッセイ
(2)一夜城
補 周南新百景 佐森芳夫(画家)島根県鹿足郡津和野町に「左鐙」という地名がある。左(ひだり)の鐙(あぶみ)と書いて「さぶみ」と読む。鐙とは馬の胴体の両側に吊り下げられている馬具のことで、そこにつま先を乗せるようにして使われる。
馬を乗り降りする時や乗馬中にバランスをとる時に重要な役割を果たしている鐙であるが、両側にある鐙がなぜ左の鐙だけが地名になっているかについては、この地域に伝えられている平家伝説が明らかにしている。
左鐙郷土誌研究会による『左鐙誌』には、屋島壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門が追っ手に追われて里を駆けぬける時に、夕顔の垣に馬の左の鐙が引っ掛かり落ちたことから「左鐙」と呼ぶようになったと記されている。
この地域では、その他にも平家伝説がもとになったと思われる地名が多く残されている。すぐ近くの吉賀町の柿木には、落ち延びてきた平家の一門が追手の夜討ちを受けて多くが討たれたとされる夜討原の地名がある。
さらに、左鐙の国道187号沿いの要所には「地名の由来 平家伝説の地」と書かれた小さな説明板が建てられている。そこには、地名とともに由来が書かれているので、平家伝説との関係を理解しやすくなっている。
必見すべきは、「御殿岩(ごでんいわ)」と「畳石(たたみいし)」であろう。高津川沿いに平家の一門が一夜を明かしたとされる「畳石」と呼ばれる広く平らな岩場があり、その一段と高い場所を「御殿岩」と言う。
「御殿岩」の上部には、わずかな平地があり、そこに安徳天皇が泊まったとされることから別名「一夜城」と呼ばれる。「畳石」の大小の窪みは「馬のたらい」、「馬の足跡」と言われ、この時にできたものと伝わる。
その他にも、晩(おそ)越、軍場谷、民ヶ谷、集議谷、一の谷など多くの地名が残されている。ところが、平家はこの地にとどまることなく、忽然と姿を消している。その行先や理由については、不明のままである。
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