コラム・エッセイ
(20)生田の森
補 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
神戸市営地下鉄の三宮駅から歩いてすぐの場所に、有名な生田神社がある。祭神は、日本神話に登場する稚日女尊(わかひるめのみこと)であり、縁結び、健康長寿、生業(なりわい)守護にご利益があるとされる。
神社が建てられたのは、神功皇后元年(201年)と伝えられている。地元神戸では「いくたさん」と呼ばれ親しまれている生田神社であるが、本殿の北側には、鎮守の杜として「生田の森」が静かに広がっている。
その「生田の森」には、樹齢500年を超える数本の御神木や「水みくじ」の運勢や恋愛運の文字を浮かび上がらせるための「金龍泉」や神功皇后を祭神とする生田森坐社(いくたのもりにいますやしろ)などがある。
現在では、周囲を高層ビルなどに取り囲まれている「生田の森」であるが、かっては六甲山に連なるほどの広さがあったと言われている。その「生田の森」は、源平合戦の生田の森の戦いが行われた場所でもあった。
しかし、多くの史跡が残されている西の木戸口があった須磨の一の谷に比べると、東の木戸口があった「生田の森」周辺ではとんどが残されていない。それでも、生田神社の境内では、多くの史跡を見ることができる。
その中の一つに、平敦盛が愛でたとされる「敦盛の萩」があり、秋には可憐な花を咲かせるという。さらに、真偽の程は定かではないが、若かった敦盛にはすでに子供がいたとする能「生田敦盛」が伝えられている。
「生田敦盛」では、法然上人に道ばたで拾われた子供が成長して10歳になった頃、敦盛の子供であったことを知る。父に会えることを賀茂明神に祈願すると、「父を見ようと思えば生田の森に下れ」とお告げがあった。
そして、生田の森の草庵内で父の亡霊と対面する。そこで、亡霊は一晩中昔を語り続けるが、やがて、夜明けとともに消えていった。「生田の森」では、今も、敦盛の名残つきない声が聞こえているのかも知れない。
