2026年06月25日(木)

コラム・エッセイ

(64)御手洗湾

再々周南新百景 佐森芳夫(画家)

 室積(むろづみ)の地名の由来について、江戸時代の『防長風土注進案』には「八方の風を防ぎ船がかりがよく、室(むろ)の内にいるのと同じことから室住といった」と記されているが、その真偽は定かではない。

 その室積湾は、別名御手洗湾(みたらいわん)と呼ばれている。その由来についても定かではないが、神功皇后が三韓遠征の時に立ち寄り手を洗われたという伝説から御手洗湾と呼ばれるようになったとされている。

 また、普賢寺の『普賢縁起』に「遊女の歌に、周防なる室積の中の御手洗に風はふかねともささら浪たつ伝々」と記されていることから、普賢寺が創建された平安時代には御手洗の名称が普及していたことが分かる。

 その御手洗湾は、海上輸送が盛んに行われるようになった江戸時代に日本海沿岸と大阪を結ぶ北前船などの寄港地として大いに栄えた。さらに、萩藩によって現在の商社にあたる越荷方(こしにがた)が設置された。

 当時の船のほとんどが「弁才船(べんざいせん)」と呼ばれる木造の帆船であった。海商通りにある「光ふるさと郷土館」では、五分の一の250石積の弁才船の模型や北前船に関する貴重な資料を見ることができる。 

 華やかな時代の面影を残すものが、室積みたらい公園に「みたらい燈籠堂(とうろうどう)」として復元されている。廻船の出入りが安全に行われるように、正面に見える象鼻ケ岬に私財を投じて設置、運営された。

 燈籠堂は、地下上申絵図に象鼻ケ岬の先端部に灯炉堂として描かれている。そして、その先の海の中には水尾木(みおつくし)がある。水尾木とは、水深を知らせる目印として立てられた杭のことで、澪標ともいう。

 現在の灯台付近にあったと思われる水尾木(澪標)であるが、実際にどのようなものであったかは不明である。室積の繁栄を陰で支え続けてきたに違いない水尾木が、いつの日にか復元されることを願って止まない。

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