2026年05月01日(金)

コラム・エッセイ

(86)硫黄島

再々周南新百景 佐森芳夫(画家)

 『平家物語』によると、安徳天皇は壇ノ浦の戦いで二位尼とともに入水したとされている。ところが、その一方で、平家の残党に守られながら地方に逃れて生き延びたとする伝説が各地に残されているのも事実である。

 下関市豊田町地吉の豊田湖畔にある安徳天皇西市御陵墓参考地のように、宮内庁によって指定された陵墓参考地だけでも全国に5か所もある。それ以外にも、安徳天皇の陵墓と伝えられる地は全国に限りなく存在する。

 その内の一か所が、鹿児島県三島村の硫黄島(いおうじま)にある。硫黄島は、別名を鬼界ヶ島(きかいがしま)という。諸説あるが、鹿ヶ谷の陰謀によって平康頼、藤原成経、俊寛が島流しとなった島とされている。

 光市の普賢寺には、島流しの途中でシケのために立ち寄った平康頼が、出家したときに詠んだとされる一首「ついにかく そむきはてけむ 世の中を とくすてざりし ことぞくやしき」を刻んだ碑が残されている。

 数年後、赦免状が届き、平康頼と藤原成経は許されて京に帰ることができたが、そこに俊寛の名前はなく帰ることが許されなかった。「これ具してゆけ、われ乗せてゆけ」俊寛は二人が乗った船に向かってわめき叫ぶ。

 その後、俊寛に仕えていた有王(ありおう)が鬼界ヶ島をおとずれると、そこには変わり果てた俊寛の姿があった。そして、有王が島に渡った23日後には、37歳でこの世を去っている。庵とともに、荼毘に付された。

 俊寛や有王の話は、仏教僧(聖)などによって全国に広まっていったと思われる。そして小説や能、歌舞伎で取り上げられたことによって、さらに注目が集まるとともに、多くの異論が生み出されていったのであろう。

 驚くことに、そのわずか数年後に、安徳天皇がこの鬼界ヶ島に逃れてきたと伝えられている。にわかに信じがたい話である。いまさら、何かがわかるはずもない。ただ引き寄せられるようにして、硫黄島に向かった。

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