コラム・エッセイ
No.40 農村の希望(1) 限界集落②
中須里山通信 形岡 瑛「限界集落」というのは、1990年前後に大野晃高知大学名誉教授が全国の農村集落調査を踏まえて集落の人口の過半数が65歳以上になり、自治会活動、道なおしなどの共同活動、冠婚葬などが難しくなっている集落と定義された社会学の概念である。
因みに筆者の居住する部落は、現在17戸28人であり、そのうち、65歳以上が17人、7戸が高齢女性の単身世帯だ。自治会長、会計などの役員は輪番制が成り立たなくなっており、このままだと自治会の存続が危うい。
中須の人口は、最盛期は戦後間もない頃で3,000人あった。大田原には、小学校もあった。
筆者が中学にあがるころこには、それが分校となり、中学校に同級生5人が自転車で山坂超えて通学していた。現在、大田原の集落は消滅している。
中須全体の人口も1994年頃、まだ1,200人余りだったが、現在は、608人、65歳以上が58.9%になっている。
往時、県道下松-三瀬川線と徳山-光線との交差点には、製材所、薬局、酒屋があり、東側に衣料品店、運送屋、バス停を兼ねた自転車屋、精米所、豆腐屋、衣料品店、食料品店、ガソリンスタンド、そして診療所、小学校、民家、学用品・文具店、煙草も売っている駄菓子屋があった。
西側には、石屋、山師、ブリキ屋大工、ガラス屋の住宅、その隣が店舗作りの住宅で筆者が小学校5年まですごした民家、次いで、雑貨・駄菓子の店、電気屋があり、支所公民館、駐在所、郵便局、割烹旅館、スーパー、駄菓子屋、魚屋と続いていた。
今、小学校は既に須々万に統合され校舎は空、久保部落の県道沿いは殆ど空き家と更地になっている。
(写真)
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久保県道筋
