コラム・エッセイ
再び 神無月(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)天高く馬肥ゆる秋。真っ青な空と澄み切った空気。秋もたけなわです。稲穂の上を赤とんぼが飛び交う姿は日本の原風景とも言えます。
大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ 海原は
かまめ立ち立つ うまし国ぞ
あきづ島 大和の国は
万葉集巻一の二番目にある舒明天皇の御製歌。「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね…」の一番目の雄略天皇の御製歌とともに有名で、万葉集に親しんだ人は口をついて出ることでしょう。
日本の成り立ちを伝える古事記では「あきづ島 大和の国」は日本に対する神話的呼称で、五穀の豊かに稔る聖なる国を意味します。あきづ島は大和にかかる枕詞。かまめはカモメの古形。天の香具山に登って国見をされた天皇は、かまどの煙に庶民の生活の賑わいを感じて「美しく素晴らしい国だ、日本は」と思われたのでしょう。
あきづ島という言葉の由来は日本書紀にあります。巻三の神武紀に神武天皇が国中を巡幸された折、奈良県御所市辺りの丘陵に登って「ああ、なんと美しい国を得たことよ。本当に狭い国だが、あたかも蜻蛉が交尾している形のようでもあるよ」と言われたことから「蜻蛉島」、「秋津洲」の言葉が生じたとされます。秋の精霊の蜻蛉が飛ぶ島、五穀豊穣の秋の島であることを含めた表現にゆかしさを感じます。昔の人はトンボのことを「あきつ」と呼んでいたのです。
小学生だった昭和30年代。田畑ばかりか路地のあちらこちらに赤とんぼがたくさん飛んでいました。秋の到来を告げるその光景は今も鮮明によみがえります。
夕焼 小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
誰もが郷愁を覚える日本の歌の代表作「赤蜻蛉」。大正10年に三木露風が発表、昭和2年山田耕筰が曲を付けました。兵庫県たつの市に生まれた露風は7歳の時、離縁によって母・かたと別れました。昭和39年、75歳で亡くなるまで母への思慕はどれほどであったかと想像します。とくに夕暮れ時にこの歌を口ずさむと哀しさ、切なさがこみあげてきます。
蜻蛉島という言葉を知ったのは高校生の時に万葉集を手にしてから。大学生、成人してから奈良の地を何度も訪れて身近になりました。四季の美しさ、言葉の豊かさ、日本文化の奥深さを思います。
