コラム・エッセイ
戦没者名録碑
翠流▼各地区にある戦没者の慰霊碑、忠魂碑、護国神社。戦後も各地域の遺族会が中心となって清掃や維持のための活動が続けられてきた。しかし、終戦から80年が過ぎ、遺族会も活動を縮小せざる得なくなっている。
▼その中、周南市連合遺族会では、有志の絆クラブを発足させ、大川勝也会長を中心に市内の慰霊碑などの清掃を続けている。何度か取材させていただいたが、連絡をとりあい、当日は草刈り機などを持ち寄り、熱心に作業する姿に頭が下がる。
▼高齢者が多いが、その中で心強いのが若手の県議、市議が加わっていること。人数は多くはないが、大きな力となっている。政治を志す人、すでに議員として政治に携わっている人にはぜひ、参加してほしい。日本の平和について、何か感じることが必ずあると思う。
▼先日、勝間保育園のそばにある忠魂碑を訪れる機会があった。1922年(大正11)の建立。碑のそばに戦没者名録碑があり、戦没の時期と場所、氏名が記されている。その先頭は明治33年8月2日、北支とある。多いのは太平洋戦争後半の昭和19年、20年の戦没者。全体の4分の3を占めている。
▼亡くなった場所はフィリピンが多く、マレー近海、ニューギニア、ビルマなどアジア各地の地名がある。45年8月6日の広島市では4人、8月15日は満州国で3人が亡くなっている。戦争が遠い世界のできごとではないことを伝える慰霊碑。将来に向け、どうすれば維持できるのか、考えたい。
(延安弘行)
