コラム・エッセイ
No.10 9月19日 冷戦の象徴「17度線」へ 名将ザップ氏の生家を訪問
ベトナムは今 コロナ禍を乗り越えて(9月16〜20日) 記者・IMAYA理事 山上 達也前日に車椅子20台、通学用自転車20台の贈呈を終えた我々は、すがすがしい気持ちでドンホイでの朝を迎えた。きょうは再び高速道路でフエに戻る。
ドンホイを後にする前、ドンホイ中央郵便局に行ってみた。ここから筆者は日本あてにはがき40通を航空便で差し出した。
日本への航空扱いのはがきの郵送料は3万ドン(約170円)という。3年前は1万2千ドン(約68円)だった。ベトナムは再び高インフレにさいなまれているのだろうか。日本から外国に差し出す航空扱いのはがきは、わずか70円だ。
ちなみに筆者も記念に自分あてに差し出してみたら、半月後の10月3日に到着した。
郵便局のあとはベトナム戦争で米軍機の爆撃を受けたタムトア教会に向かった。カトリックの教会であるタムトア教会は1886年に建てられた全国で最古の教会の一つだが、1965年に米軍機の空爆で破壊された。
ドンホイは統一前の北ベトナムの最南端の都市。米国を後ろ盾にした南ベトナムから爆撃機の襲来をたびたび受けて街並みはほとんど破壊されたという。
タムトア教会は壁や塔の一部しか残っておらず、壁には銃弾の跡が見える。岩本功理事長夫妻や森政潤子さんは「まるで広島の原爆ドームみたいだ。戦争の悲惨さを、今を生きる人たちに無言で伝えているね」と感慨深そうに話していた。
次はベトナム戦争で北ベトナムを勝利に導いた故ボー・グエン・ザップ将軍の生家を訪問した。ザップ将軍の親せきのボー・ダイ・ハンさん(80)は我々をお茶を入れて、丁重にもてなしてくれた。
米軍を打ち負かしたザップ将軍は“赤いナポレオン”と言われて国民の尊敬を集め、2013年に103歳で亡くなった際には国葬が営まれた。ベトナムでは通常、国葬の対象者は国家主席、首相、国会議長、ベトナム共産党書記長の経験者に限られているので、ザップ将軍は異例の厚遇だったことがわかる。
生家の周囲には学校があるのだろう。昼食のため昼休みに自宅に帰る子どもたちに出会った。カメラを向けると笑顔を見せていた。
昼食は近くの川の上に浮かぶ庶民的な食堂でとった。メニューは川魚が中心で、ベトナムではポピュラーな魚醤(ぎょしょう)の「ニュックナム」で味付けがされている。味は日本のしょう油と少し似ている感じだろうか。
食後は北緯17度線上を流れるベンハイ川に向かって南下した。このベンハイ川こそ、75年の南北統一まで北ベトナムと南ベトナムの“国境〟だっだ。今は何の変哲もない一本の川に過ぎない。
この川にかかる古い橋を渡ると、真ん中に線がある。この線が南北の“国境”で、同じ民族でもこの線を越えられなかったのだ。
朝鮮半島と同様に東西冷戦のあおりがこの線に象徴されていたのだ。冷戦とはだれのための、何のためのものだったのか。戦争を国土から追放したベトナム民族の偉大さを、今さらながらにたたえたい気持ちになった。
一行と記念撮影に応じるハンさん(前列中央)
昼休みに昼食のため帰宅する子ども
ドンホイ局の消印が押された切手
