一言進言

新駅ビルオープンでどう変わる?

~商店街の復活なるか~
周南冬のツリーまつりでもそうだが、周南市の徳山地区の底力はまだまだ大したものだ。どこから湧いてくるかと思えるほど人が集まる。イベントなどがあれば、徳山駅がそのパワーの源であることは間違いない。周南地区の交通の拠点だ。しかし、この集まった何万もの人を商店街としてうまく集客に利用できているかと言えば疑問だ。最近は多くなっている飲食店を除けば、どれだけ店の前に人が流れていても、午後7時前にはシャッターが下りる。格別、商店街としてセールするわけでもない。
街中で革手袋を売っている店を尋ねられたが、思い当たらなかった。男性用靴もわからない。本来、商店街は横に連なる百貨店だ。歯が抜けたように必要な商品が欠けているのが今の徳山商店街だ。ネット販売が急増して、ますます物販は大変な時代だ。もう従来のような商店街は望めない。では、どんな商店街なら生き残れるのか。
中心市街地ににぎわいを、と新駅ビルがオープンした。連日多くの人が集まっている。一方で、老舗の鳳鳴館書店が消えた。PH通りのドーナツ屋も見えなくなった。駅ビルが中心市街地に人を流すための施設だけに、これからが注目される。単に駅ビルに人が集まるだけでは、事業的には失敗だ。100万人集まろうが、200万人集まろうが、スターバックスがもうかるだけでは全く意味がない。
動物園が良い例だ。何億円かけて改修しても地域への経済効果はほとんどない。年間35万人とか、人が集まる。ぐるりんバスで街中とつなぐ計画だが、ぐるりんバスは大失敗してきた。田舎では子連れでバスを利用する家族はごくわずかだ。車なしの家族を見かけたことがない。土、日中心の施設で、周辺に食べ物屋が張り付かない。動物園内に周辺からの情報発信装置がない。
さて、駅ビルから街中へどう誘導するか。街中にも良い店はたくさんある。センスのいい子ども服店もあれば、メンズエステもある。もちろんそば屋も、おいしい唐揚げ屋もある。老舗の洋食屋もある。それでも街に人は流れなくなった。パンマルシェなどイベントがあれば人は集まる。しかし、他地域から出店したパン屋はもうかっても、地元の商店街にいかほどお金が落ちているのか。検証作業がない。
ある専門家は、個々の店が力をつけるかどうかが肝要で、イベントで人を集めても売り上げ増につながらない、と語る。仕入れに素晴らしいセンスを発揮する店主、どこにも負けない味を守る店。もう一度食べたい味の商品を持つ店。顧客管理を徹底してできる店。そんな店主が10人そろえば商店街ができる。行列ができる商店街になると言う。
節分の日、銀南街で巻きずしを買った。60年以上続く老舗だ。やっぱりうまい。客も切れることがない。ふむふむ、そうだ。この店を駅ビルに来た人たちに伝える方法は?(中島 進)

クラブ松本の灯りが消えた

~時の流れのように~
「3社参り」「5社参り」。35年前、こんな会話が旧徳山の夜の街で使われていた。当時、クラブが5店もあった。わずか人口11万人の街で、クラブが5店は全国でも珍しかった。飲食店の数も人口1人当たりでは全国屈指を誇っていた。スナックのキープ棚には、高級ブランデーがずらりと並び、高級すし店に客が途切れることがなかった。バブルがはじけるまで、徳山の夜の街は不夜城のようだった。
企業の接待交際費は底なしの感があった。官官接待も公然とあり、建設省(現国土交通省)の役人などは公然と接待されていた。三菱銀行支店長だったH氏が音頭を取って、東京に「ふくの会」が結成された。周南地区に勤務した企業幹部たちが、徳山は良かったと、100人近く集まった。
私も数回参加したが、転勤先で周南地区は一番楽しかったと異口同音に語っていた。食べ物も格別おいしいし、夜の街はどこも活気にあふれていたのが大きな要素だ。ゴルフをするにも近場に多数あって、気軽にプレーできた。何しろ転勤時、新幹線ホームに女性たちがずらりと並んで見送ったものだ。
あれから35年。当時を象徴する最後のクラブが灯りを消した。今年になってクラブ松本がクラブ部門を止めた。当時は最高級のクラブとして大企業の社長たちは必ずと言って良いほど集まっていた。中庭の見事なしだれ桜は、高級クラブとしての存在感を見せつけていた。時代の流れと言えばそれまでだが、地域の活力が衰退しているのを肌で感じる。
松本智子ママと閉店後初めて話をした。相変わらずの存在感で、ほっとした。中庭を挟んだモディリアニの方で営業は継続するそうだ。華やかな夜の社交場で、男たちはどんな世界を作っていたのか。商談がまとまる契機になっただろう。友を作る場所になったろう。さまざまなドラマが作られただろう。
徳山最後のクラブは、多くの男たちの情熱を抱え込んで、灯りを消した。(中島 進)

今こそ県政を語れ!

~高校統廃合に物申せ!~
県政と県民の距離は人によって大きく違う。許認可など仕事で関係する人以外、一般の人は、県庁は存在感がない。ひと昔前はパスポートを取るのに県庁に行っていたが、最近は県庁を訪れることもない。ましてや、行政の府として県がどんなことをしているのか知る由もない。そこで、県議会議員が重要な役割を担う。
県道、学校施設、警察関係、国民健康保険なども県の管轄になった。医療関係も許認可など県が大きく絡む。原発計画は国策だが、地元の合意形成は不可欠で、県の意向は重い。野犬対策も県保健所の管轄で、県政が大きく影響している。それらを県民に説明するのが県会議員の役目だが、どんな発言をし、どれほどその役目を果たしているのだろうか。
新周南は周南3市の県議の代表質問、一般質問を取り上げ、どんな問題意識を持っているか紹介している。県議の報酬など使われる税金は各市の市長より多い。周南3市に9人の県議がいる。報酬の多寡で論じる気持ちはないが、地域を担う政治家として、どこまで県政に影響力を持ち得ているか、判断材料が乏しいのは事実だ。例えば、周南地区の高校が統廃合される問題で、どんな関わりを持っているのか、注目したい。
県は生徒数が少なくなるから、高校をなくすと宣言している。現実に近く光丘高は光高と再編統合される。華陵、南陽工も検討対象だ。地域にどんな高校が必要か、どうしたらいいか論議する人も、論議の場面もない。高校教育がいかにあるべきか、県会議員たちの責任は重い。もちろん一番は知事だ。
県知事選の真っ最中だが、一向に盛り上がらない。新人候補は、国政がらみの話が中心で、身近な高校統廃合への提言はほとんど聞かない。現職候補は企業誘致の成果を訴えるが、若者流出の歯止め策に大きな声を出さない。人手不足で、県内の中小企業は悲鳴を上げている。毎月500人以上、減少しているのが山口県だ。
山口県は森林を守ると、県民等しく1人月500円を徴収している。知っている人は少ない。森は守られているのか、猿やイノシシ被害はどうなのか。県政はかくも遠い存在なのだ。周南市には県の総合庁舎がある。以前は県職員も、我が社に顔を出して交流もあったが、最近は全くと言っていいほど関係がなくなった。周南地域の情報を集める気もないのがよくわかる。
幸い、周南地区は港湾関係で県と関係が深い。逆に県に頭が上がらないところもある。しかし市民は別だ。身近に県職員はいないが、県議は市長より身近なはずだ。もっと質問し、要望を出していくといい。県庁と市民との距離感を縮める工夫がより大切だ。知事選挙を機会に、県政を見直す作業が必要だ。そのためにも、とりあえず投票に行こう。(中島 進)

明治維新150年、どう取り組む?

~若者たちが勇気を持てる活動に~
今年は明治維新150年。山口県は盛り上がるだろう。萩や下関方面は特に盛り上がるだろう。史跡や逸話も多いから当然だ。多くの若者が国のあり方を語り、決起し、殺し殺された歴史を刻んできた。外国とのかかわり方が大きなテーマだった。250年も続いた徳川幕府の消滅は想像できない変化だったろう。
歴史はあくまで歴史だ。ある作家は、吉田松陰などはテロリストだったと書く。勝った方は美化されるが、敗者は悪者にされる。会津藩士が明治政府の高官になって書いたものでは、長州藩は野蛮な集団だったとある。戦いで敗れた会津藩士の亡骸を葬ることさえ許さず、放置していたそうだ。農民を組織して兵隊にしていたから、武士道などあるわけなかった。
ともかく、ここ周南地区では維新150年がピンとこない。観光に利用しようにも、これと言った有名な人もいない。しかし、毛利藩内部では佐幕派、勤皇派の争いはし烈で、多くの犠牲者が出た。県は維新150年を観光に使おうと必死だ。材料が乏しい周南地区はどうするか。
まずは市民に地域の大変革の歴史を伝えることだ。行政の仕組みが大きく変わったこと、武士がいなくなってどう生活が変化したか検証すること。世の中の大変化に先人たちはどう対応したのか知ることが、今日の私たちのヒントになるかもしれない。多くの逸材を輩出した背景を探ることも重要だろう。
歴史ものは関心がある人と、そうでない人の差が激しい。歴女が増えたと言うが、少数派だ。子どもたちに維新を伝えるのはさらに難解だ。高杉晋作や坂本竜馬などを通じて維新は語られる。ここ周南地区も維新で大きく動いたことを、わかりやすく明快に解説して見せたいものだ。この地でも、志を持った若者たちが、物を言い、行動していたことが重要だ。
当時日本を動かす中心にいたのは、多くの20代の若者だった。どこにそんなパワーがあったのか。歴史を知ることで、子どもたちに勇気と熱情を感じてもらえるかもしれない。維新150年を、観光ではなく、地域の若者たちへのメッセージづくりとして取り組むのも意味がある。(中島 進)

明けましておめでとうございます

~市民の味方になる新聞を目指して~

明けましておめでとうございます。「日刊新周南」も創刊34年目を迎えることができました。地方紙が全国で姿を消す中、何とか発行を続けていけるのも、読者の皆様、スポンサーの皆様のお陰と心から感謝しています。
ネットが社会を席巻する中、紙の媒体は大小関わらず苦戦を強いられています。しかし、足で拾ったニュース、今の周南を分析してみせること、地方政治、行政の裏側を責任を持って記事にすること、これらネットではできないことを形にするのがローカル紙の役目だと信じて発行を続けています。
コミュニティーが崩壊しそうな時代に、地域の片隅で頑張る人たちを取り上げ、励まし、元気を出してもらうのも大切な役割です。より良い地域社会を作るため、政治や行政には、時には厳しい態度も取ります。また、地域で頑張る事業所や商店がより元気になるよう、情報発信のお手伝いを今まで以上にしていきます。
身近な情報ほどコミュニケーションに役立ちます。「この間、新周南に出てましたね」の一言が、一気に親しみを増していくことを保証します。人と人がつながることが、地域と地域、会社と会社がつながる原点です。地方紙の役目は、事件や悪者捜しが目的ではありません。ネットでの情報がはんらんする時代だからこそ、地味で、コツコツ集めた情報が、大切になると信じています。
近年、投票率が下落し、地方自治、地方政治から民心が離れていることに、地域活力の低下を感じます。市議会報道など、きめ細かい取材を心がけていますが、行政の広報紙にならないよう、弱者に寄り添い、市民の不満を活字にする紙面づくりを心がけていきます。
読みたくなる新聞、読んで得をする新聞、読んで楽しくなる新聞づくりを目指して、社員全員で奮励努力を誓います。2018年も皆様のさらなるご支援を心からお願いする次第です。(中島 進)

今年もありがとうございました

~来年の周南市の漢字は「乱」?~
今年の漢字は「北」だった。北朝鮮のミサイルの脅威や九州北部豪雨など、穏やかでない話題が主流になった。世界を見ると、トランプ米大統領を筆頭に、ヨーロッパなど各地で右傾化が進んだ。排外的な感覚が広がり、不穏な雰囲気が漂っている。日本でも、政府に反対する意見を言うと、すぐに反日のレッテルを張る人たちが横行、ネット社会も乱れている。株価の上昇と裏腹に、人間社会も、自然社会も乱れが目立つ。
ここ、周南地域ではどうだっただろうか。光市は懸案の市民病院の方向が決まり、市民の中に安ど感が漂う。下松市も、英国向け列車の昼間の市内搬送で盛り上がり、こじんまりした地方都市として平穏な空気が流れる。来年4月に迫った市議会議員選挙の無投票が現実味を帯びるほどだ。もちろん両市にも、現体制に対する批判はある。しかし、堅実さに、対抗勢力の出番は作りにくい。
周南市はちょっと違う感じだ。来年2月には新徳山駅ビルがオープン。1年後には豪華な新庁舎も完成する。いかにも華々しい感じだが、市民の中には閉塞感が漂う。そこに市民が参加した実感はない。いくばくかの会議室はできるが、市民が主役になる場面は作れなかった。お役人主導の施策が目立ち過ぎた。極め付きはしゅうニャン市騒動だ。ノリにのった木村市長が、ニコニコして3,000万円も費やしてシティープロモーションとやらを展開している。
16,000人もの署名を集め願望した小ホールは露と消え、ザ・グラマシーは宴会を廃業、市民が集う施設が中心市街地から消えた。ゆめタウン徳山、イオンタウン周南久米と次々に大型店が出店、中心市街地からは人がさらに消えて行った。加えて、しゅうニャン市で調子良く笑いを取っていた木村市長は、防災行政無線工事、新駅ビルの看板で徳山駅を外すなど、失態を繰り返し、議会で陳謝する場面が続いた。町の活性化を願って多くのボランティアがイベントを展開、街中への誘導を試みているが、その活動の中に市職員の姿が少なすぎる。
島津前市長の箱物行政を痛烈に批判して市長になった木村市長だが、大層な箱物のオープンで胸を張る姿に、あれ!と思う市民も少なくない。しゅうニャン市騒動で大きく揺れた周南市。ますます自信満々の木村市政だが、ここらでちょっと立ち止まり、市民の声に耳を傾けないと、市民との間に大きな亀裂が生じる可能性がある。市長の第一の仕事は、行政マンがやりやすい仕事をこなすのではなく、市民が何をすれば喜ぶかを第一義に考える行政マンを育てることだ。私は来年の周南市の漢字は「乱」と予想する。 (中島 進)

今のいじめ、年寄りには理解不能

~学校現場だけでは処方箋は書けない~
周南市内の高校生が昨年、櫛ケ浜駅構内で列車に飛び込んで自殺した事件が問題になっている。県教育委員会の対応が不誠実だと遺族が怒っているようだ。県教委はいじめはあったが、それが自殺の原因とは断定できないと報告した。さらに、非開示を報告書提出の条件にした。生徒が通っていた高校の保護者からも話を聞いたが、状況はわからない。この種の自殺は全国で起こっている。子どもの自殺は大きな社会問題だ。
中学生になると不登校が増える。各市教委によると周南地域では周南市が小学生15人、中学生94人。光市が小学生5人、中学生32人。下松市は13人と48人。悩める子どもたちが増えている。不登校もいじめだけが原因ではなく、いろんなきっかけ、理由がある。しかし、いじめを感じる子は少なくない。
今のお年寄りの多くは、自分の時代にはいじめもいっぱいあったが不登校や自殺を考える子どもはいなかった、と理解に苦しむ。理解不能なのだ。だから、今の子どもは軟弱なのが多い、と一言で片づける人が多い。
確かに私でもそう思う時がある。中学校時代、父親が校則を見て、全員丸坊主はおかしい、髪を切るなと、1人だけ長髪で登校していた。1,500人中ただ1人だった。先輩からは髪を引っ張られ、ハゲじゃろうがといじめられ、先生からも再三注意された。それでも学校が嫌にはならなかった。
学校での悩みを親に打ち明けるのは圧倒的に少数派だ。想像するに、どれだけ支えてくれる友人がいるかだ。私の場合も常にかたわらに友人がいた。しかし、今の時代はよくわからない。スマートフォンでやり取りをする。あの短文で気持ちを伝えることが可能だろうか。
教育委員会で結論を明確に出せと言っても、土台無理だろう。解決を求めるなら、まずは遺族と真しに向き合い、一人々々の子どもたちと話し、いじめをした側にはいけなかったことを納得させ、謝罪する気持ちにさせることだ。随分な手間暇を要する作業になるだろう。
大事なのは原因の調査だけでなく、どうしたら不登校や、自殺まで追い込まないですむのか、再発の防止だ。学校現場で何が大切か、適切な指導が必要だ。一因となったであろう教師を叱責しただけでは解決にならない。子どものいじめや自殺は、家庭の親子関係まで踏み込まないと、本当は解明できまい。
たくましい防長っ子を育てるために、学校現場での具体的な指針、家庭への啓もう活動、多種多様な子どもたちへ何を大切にさせるか。個人主義が主流の時代、権利と義務の境目など難しく際限がない。不登校や自殺に向かう子どもたちへの処方箋は学校だけでは書けない。社会全体で書くことだ。(中島 進)

新駅ビルへの不安

~果たして効果は出るか~
周南市の徳山駅を周南駅と改名するとしたら10億円かかるそうだ。駅ビルから徳山が消えて、議会でも問題になった。知らない人が徳山駅に降り立ち、突然「周ニャン市」の看板が目に入ってくるから、ここは一体どこなのかと戸惑うらしい。鉄道の歴史が始まって以来、徳山駅が浸透し、全国の人々は徳山駅なら知っている。新幹線で数少ないのぞみが停車する駅だから余計だ。周南市の主たる駅が徳山駅だと喧伝するのか、徳山駅は周南市の駅だと喧伝するのか、難しいテーマだ。
大体地名と駅名はほとんどがリンクしている。違うので代表的なのが博多駅だ。福岡市と呼ぶ人もいれば、福岡市を博多と言う人も多い。著名な都市なので多くの国民は理解している。最近の悩みは外国人への説明らしい。駅名と地域の名称が違うのはさように厄介だ。
そんな混乱の中、周ニャン市が飛び出したから余計複雑になった。果たして徳山駅に着いて、ここは徳山ではなく、周南市でなく、周ニャン市なのか、と戸惑うのだ。周ニャン市騒動の中、いっそ徳山市にした方が、の声も聞く。旧新南陽地域の声に多い。若者は、周ニャン市の名称でイベントを開いたりしているが、年配諸氏には総じて不評だ。そこまでノリは良くない。
長い間、徳山駅ビルの名称で親しんだだけに、来年2月オープンの新ビルは、どう呼べば良いのだろう。ツタヤ図書館か、スタバビルか、駅前図書館か。行政が決めるとろくなことがないので、ここは一般公募するか。名称は結構大切だ。誰にもすぐわかることが肝心だ。とりあえず駅ビルとしておこう。
新駅ビルオープンで、当初はすさまじい人が訪れるだろうが、あくまで新駅ビルは人寄せパンダだ。駅ビルに人が満ちても、周南市には何のメリットもない。駅ビルから外にどれだけの人が出てくるかが勝負だ。駅ビルにこれだけ人が集まった、と行政は胸を張るだろうが、55億円かけ、毎年1億6,000万円ものお金を注ぐ施設だ。集まって当然だ。
残念だが、昔からの商店主たちに、多くの人出を迎え撃つ意欲も体力もない。ゆめタウン徳山ができた途端、土曜日の集客が激減した。若者たちがパンマルシェなど次から次へとイベントを打って、中心市街地へ人を集めるが、旧来の商店にそれを利用する姿勢はさほどない。このままだと、食べ物屋さんが少し潤うぐらいの効果しか出ない恐れが強い。
1時間200円の駐車料金を払っても行きたくなる街にするのは至難の技だ。商店主の強烈な意気込みがまずは大切だが、行政は街中にちょっとしたイベントができるスペースを確保することが最優先課題だろう。通路しか利用できないのは、どだい無茶だ。高齢化が進む旧来の商店主への働きかけも難題だ。華々しい新駅ビルのオープンセレモニーを想像すればするほど不安は増す。(中島 進)

「総理の一言で終わる」

さすがの小泉流
最近の郵便局はかなり不便になった。民営化後、企業の論理、経営の論理が優先、急激な合理化が進んだ。翌日配達もおぼつかなくなり、揚げ句にどう見てもわかりそうな配達先の郵便物も、あて先不明で帰ってくることさえある。「自民党をぶっ壊す」と言って総理大臣になった小泉純一郎氏が推し進めたのが、郵政民営化だった。反対議員には刺客まで送り込んでの強行突破で実現した。国民には、民営化でよくなった実感はないだろう。その小泉元総理が反原発を訴える講演会が周南市であった。
会場の市文化会館は超満員。もちろん反原発の思いで来た人が多かったが、あの小泉進次郎氏のお父さんで、一世を風靡した元総理を一目見たいと思った人もいただろう。最初はちょっと聞き取りにくく、年齢を感じさせたが、次第に人をひきつける魅力を全開させていった。話は具体的でわかりやすく、論理的でもあった。派閥もなく、一匹狼的な1人の政治家が、国全体を動かしたパワーの源を垣間見た。
核再処理工場も失敗、処分する手立てもないまま増え続ける核のゴミ問題。ミサイル一つで放射能の海になることまで言及。現在の原発政策の矛盾を的確に語った。原発政策を推し進めてきた自民党のトップに立っていた人物だけに、最初から反対を言う人の話と違って、説得力がある。安倍総理のおひざ元の山口県、現自民党副総裁の地元で、原発政策にここまで言い切れることに感心した。囲み取材でも、上関原発は絶対できないと断言していた。
我が国は10社足らずの電力会社が電気を独占してきた。赤字が見込まれれば電力料金を値上げすればよかった。しかし、産業界にとって高い電気はもってのほかだ。結局、原発で料金を抑える道を選んだ。結果、福島で立証されたように、一度放射能に侵されると、取り返しのつかない事態になることがわかった。広島、長崎で放射能の恐ろしさを知った日本人も、月日とともに、その恐怖は体験者だけのものになった。中学時代、同級生が白血病で亡くなった。母親がお棺にしがみつき「私が殺した!」と泣き叫んでいたことを忘れることはできない。母親は被爆者だった。
小泉元総理が言うように、北朝鮮が核を持つ恐怖より、原発にミサイルを撃ち込まれる方が現実的で、怖い。何しろ狭い国土に50基を超える原発がある。アメリカの力を借りて、すべて防げるとは到底思えない。圧力だけで屈服する北朝鮮とは思えない。小泉元総理が、総理に返り咲いたら、どうするのだろうか。拉致被害者を取り返した実績のある元総理だ。できれば北朝鮮問題への対処法を聞いてみたかった。政府は顧問としてアドバイスを受けないのだろうか。小泉元総理は言った。「総理が原発をやめると一言言えば、原発はなくなる。簡単だ」。(中島 進)

なぜ下がる投票率

~生活が大変でも選挙に参加しないのは?~
衆議院総選挙の総括をと思ったが、しようがない。小池、前原氏を悪者にした総括など意味もない。比例区では野党の合計の方が得票が多かったし、妥当な結果だった。自民、公明はしっかりした地方組織を持っている。一方、希望の党も立憲民主党もほとんど地方では組織らしい組織はない。それにも関わらず、圧倒的な票の差がなかったのは健全なのかもしれない。これでは安倍総理が思うような改憲案も通らないだろう。
やはり一番問題なのは投票率だろう。国民の2人に1人は棄権している。理由はどうあれ、自分たちの将来の命運を決める国政選挙に、どうしたことか。国民の学力は世界でもトップクラスだ。現状の満足度が高いからか。ここは与野党関係なく、真剣に投票率低下阻止に取り組むべきだ。
周南地区でも毎回投票率が下がる。20年前とは雲泥の差だ。なぜ投票に行かないのか。調べるが統計がない。事前の世論調査では70%の人が投票に行くと答えている。あきらめ、関心がない、忙しすぎる、理由はさまざまだろうが、結局は大切と思わないからだ。私の周囲ではさほどお金持ちでない人ほど関心が低い。
日本はまだまだ男性社会だ。たとえば母子家庭で子どもを大学まで行かせるのは大変だ。社会への不満は相当あるはずだ。しかし、政治に関心を示す人は知る限り少ない。上場企業で働く人と、孫請け会社で働く人との格差は膨大だ。圧倒的に後者で働く人の方が多いはずだ。それでも投票に行かないのはなぜか。大店法が改正され、地域の小売店は壊滅的になった。それでも商店主たちは不満を叫ばなかった。規制緩和で町の米屋や酒屋もことごとくなくなった。それでも自公を応援する人が多い。なぜだ。
1963~72年の国公立大学の授業料は年間1万2,000円だった。貧乏人でも奨学金を受けアルバイトをすれば大学に行けた。私を含め周囲にそうした仲間が随分いた。塾はほとんどなく、教育無償化の論議は必要なかった。それでも国に不満がいっぱいあった。国民の4人に1人が今の自公政権を支持しているが、それで圧倒的多数な政権を維持できる。感覚で申し訳ないが、投票に行かない人の多くが、十分な生活ができていない人たちではないかと感じる。
すべての人が満足できる政治は不可能だ。しかし、これだけ投票率が下がると、国家の危機だと感じざるを得ない。1億総ミーハーになったのだろうか?(中島 進)