一言進言

「総理の一言で終わる」

さすがの小泉流
最近の郵便局はかなり不便になった。民営化後、企業の論理、経営の論理が優先、急激な合理化が進んだ。翌日配達もおぼつかなくなり、揚げ句にどう見てもわかりそうな配達先の郵便物も、あて先不明で帰ってくることさえある。「自民党をぶっ壊す」と言って総理大臣になった小泉純一郎氏が推し進めたのが、郵政民営化だった。反対議員には刺客まで送り込んでの強行突破で実現した。国民には、民営化でよくなった実感はないだろう。その小泉元総理が反原発を訴える講演会が周南市であった。
会場の市文化会館は超満員。もちろん反原発の思いで来た人が多かったが、あの小泉進次郎氏のお父さんで、一世を風靡した元総理を一目見たいと思った人もいただろう。最初はちょっと聞き取りにくく、年齢を感じさせたが、次第に人をひきつける魅力を全開させていった。話は具体的でわかりやすく、論理的でもあった。派閥もなく、一匹狼的な1人の政治家が、国全体を動かしたパワーの源を垣間見た。
核再処理工場も失敗、処分する手立てもないまま増え続ける核のゴミ問題。ミサイル一つで放射能の海になることまで言及。現在の原発政策の矛盾を的確に語った。原発政策を推し進めてきた自民党のトップに立っていた人物だけに、最初から反対を言う人の話と違って、説得力がある。安倍総理のおひざ元の山口県、現自民党副総裁の地元で、原発政策にここまで言い切れることに感心した。囲み取材でも、上関原発は絶対できないと断言していた。
我が国は10社足らずの電力会社が電気を独占してきた。赤字が見込まれれば電力料金を値上げすればよかった。しかし、産業界にとって高い電気はもってのほかだ。結局、原発で料金を抑える道を選んだ。結果、福島で立証されたように、一度放射能に侵されると、取り返しのつかない事態になることがわかった。広島、長崎で放射能の恐ろしさを知った日本人も、月日とともに、その恐怖は体験者だけのものになった。中学時代、同級生が白血病で亡くなった。母親がお棺にしがみつき「私が殺した!」と泣き叫んでいたことを忘れることはできない。母親は被爆者だった。
小泉元総理が言うように、北朝鮮が核を持つ恐怖より、原発にミサイルを撃ち込まれる方が現実的で、怖い。何しろ狭い国土に50基を超える原発がある。アメリカの力を借りて、すべて防げるとは到底思えない。圧力だけで屈服する北朝鮮とは思えない。小泉元総理が、総理に返り咲いたら、どうするのだろうか。拉致被害者を取り返した実績のある元総理だ。できれば北朝鮮問題への対処法を聞いてみたかった。政府は顧問としてアドバイスを受けないのだろうか。小泉元総理は言った。「総理が原発をやめると一言言えば、原発はなくなる。簡単だ」。(中島 進)

なぜ下がる投票率

~生活が大変でも選挙に参加しないのは?~
衆議院総選挙の総括をと思ったが、しようがない。小池、前原氏を悪者にした総括など意味もない。比例区では野党の合計の方が得票が多かったし、妥当な結果だった。自民、公明はしっかりした地方組織を持っている。一方、希望の党も立憲民主党もほとんど地方では組織らしい組織はない。それにも関わらず、圧倒的な票の差がなかったのは健全なのかもしれない。これでは安倍総理が思うような改憲案も通らないだろう。
やはり一番問題なのは投票率だろう。国民の2人に1人は棄権している。理由はどうあれ、自分たちの将来の命運を決める国政選挙に、どうしたことか。国民の学力は世界でもトップクラスだ。現状の満足度が高いからか。ここは与野党関係なく、真剣に投票率低下阻止に取り組むべきだ。
周南地区でも毎回投票率が下がる。20年前とは雲泥の差だ。なぜ投票に行かないのか。調べるが統計がない。事前の世論調査では70%の人が投票に行くと答えている。あきらめ、関心がない、忙しすぎる、理由はさまざまだろうが、結局は大切と思わないからだ。私の周囲ではさほどお金持ちでない人ほど関心が低い。
日本はまだまだ男性社会だ。たとえば母子家庭で子どもを大学まで行かせるのは大変だ。社会への不満は相当あるはずだ。しかし、政治に関心を示す人は知る限り少ない。上場企業で働く人と、孫請け会社で働く人との格差は膨大だ。圧倒的に後者で働く人の方が多いはずだ。それでも投票に行かないのはなぜか。大店法が改正され、地域の小売店は壊滅的になった。それでも商店主たちは不満を叫ばなかった。規制緩和で町の米屋や酒屋もことごとくなくなった。それでも自公を応援する人が多い。なぜだ。
1963~72年の国公立大学の授業料は年間1万2,000円だった。貧乏人でも奨学金を受けアルバイトをすれば大学に行けた。私を含め周囲にそうした仲間が随分いた。塾はほとんどなく、教育無償化の論議は必要なかった。それでも国に不満がいっぱいあった。国民の4人に1人が今の自公政権を支持しているが、それで圧倒的多数な政権を維持できる。感覚で申し訳ないが、投票に行かない人の多くが、十分な生活ができていない人たちではないかと感じる。
すべての人が満足できる政治は不可能だ。しかし、これだけ投票率が下がると、国家の危機だと感じざるを得ない。1億総ミーハーになったのだろうか?(中島 進)

べんけいが走るのを夢見て

~おじさんたちのロマンは止まらない~
年をとると、社会にまだまだ貢献したい人と、自分の世界だけを楽しむ人とに大きく分かれる。人それぞれだが、社会的な活動に生き生きと取り組んでいるお年寄りを見ると、勇気が湧いてくる。先日、NPO法人下松べんけい号を愛する会から声がかかり、「鉄道産業の街・くだまつ」を全国発信しようというシンポジウムに参加させてもらった。
栗田一郎事務局長はじめ、メンバーの熱心さは相当のものだ。同法人が「べんけい号」と呼んでいる蒸気機関車(SL)は明治40年(1907年)に我が国3番目のSLとして製造され、戦前は徳山海軍燃料廠で使われ、その後、下松工高で保存された。
1981年、同校の創立60周年で、生徒たちの手で見事に運転再開を果たした。愛する会の夢は再々度復元して運転を再開することだ。メンバーの中心は同校の卒業生と、日立製作所で車両製造に携わってきた人たちだ。
下松市内で同社で作っている英国向けの鉄道車両の陸送を日中にしたら、全国から数万人が訪れた。つい先日、英国でのこの車両の運行開始のニュースが流れた。我が社のホームページも、運搬前日には通常の10倍近い1万件をはるかに超えるアクセスがあった。下松が全国版になった。「鉄道の街」として世界に発信できた。
おじさんたちの夢にはロマンがある。下松工OBとしての誇りや、日立製作所で日本一の車両を作ってきたという自信。定年退職したおじさんたちの第2の人生だ。まちおこしの一翼を担うという気概にあふれている。周南地区でも元気なおじさんたちの活躍は結構ある。AYSA(県アクティブシニア協会)はこれまで培ってきた技術を生かそうと高齢者の人材バンクや、若者の婚活を進めたり、多様な活動で地域に役立っている。
いつの日か、べんけい号が全国の鉄道でその雄姿を見せ、白い煙を吐いて走る姿を想像しながら活動を続ける愛する会に、一種あこがれさえも抱く。技術的には復元は可能だそうだ。行政も含め、周囲の応援がなくては実現しない。修復には多額の経費もかかる。
しかし、山口線ではD51の運行も決まり、話題を集めている。岩徳線にべんけい号が走り、県東部の目玉になることも夢ではない。下松工卒業生たちの夢が形になるのはいつのことか。鉄道の街・くだまつが全国版になるのと一緒だ。おじさんたちのロマンは止まることはない。(中島 進)

より幅広い声を国政に

~あきらめずに投票を~

報道各社の世論調査で自公圧勝と出た。過去、そんなに番外編は出たことがない。希望の党は現有議席を減らしそうだ。何のための合流だったのだろうか。前原、小池両氏に、自公はありがたいと思っているとの記事もあった。思えば、細川護煕氏の日本新党結成から混成野党時代が始まった。政権はとったが、野合はしょせん野合だった。細川氏は熊本県知事時代、わずか数メートルバス停を動かすのに国の許可を取らなくてはならない、と、国政に打って出た。新鮮で格好良かった。
これで地方分権国家に変化するかと期待したが、相変わらずの構図で今日まで来た。今では国家権力をさらに強化、総理大臣がすべてを決め、国会も眼中になくなった。野合集団のご都合主義は離合集散を招くのは当たり前で、理想などそっちのけで国会議員なりたい病集団の様相だ。
ここ周南地区では、全国紙でも予想は自民圧勝とある。2区は仕方ないにしても、1区は、高村候補の優位は当然だろうが、希望の党の大内候補は頑張りようでは比例復活の可能性があるかもしれない。山口県から1人ぐらい野党議員がいてもいい。山口県は他県に劣らず疲弊している。総理を輩出していても、施策は地方に厳しい。政令都市と地方都市の差は開く一方だ。
政府は全国で合併を推し進め、合併特例債をばらまいた。しかし使途が限定的で、これといった起爆剤に使えなかった。地方自治体の使い方にも問題はあったが、若者流出の歯止めにも、少子化対策、高齢者対策にも有効な使い方はできなかった。豪華な建物だけが残り、維持費が今後、財政を圧迫しそうだ。
地方が元気を失うと、国全体が元気を失う。大内候補は山口県で生まれ育った野党候補だ。金太郎飴のような施策ではない、真剣に地方を元気にするポイントを押さえた施策を訴えてほしいものだ。
県内の国会議員全員が与党というのはいかにも異様だ。小選挙区制度のせいだが、より幅広い声が国政に届くことが健全な国家だ。野党のだらしなさも大きな原因だが、どうせ投票に行っても駄目だと、思い込みを強めるのが怖い。せっかくの国政選挙を自民党への信任選挙にしてはならない。投票に行くことは無駄ではない。(中島 進)

何を基準で選ぶか?

~迷う有権者はどこに行く~
解散による衆議院議員選挙が10日公示された。選挙が決まってから、日替わり定食のように毎日メニューが変わる。この混乱ぶりは何だろう。自公は思想も信条もまるで違う人たちが1つになっている。神道と創価学会は相いれない関係だが、選挙は一緒に戦う。党利党略と言えば簡単だが、常識では考えられない。一方、希望の党と民進党の関係はシビアに政策を重視するという。
思い起こせば、自民党と旧社会党が連立政権を作った時から、自民党は思想など無視した政党になった。しかし、自分たちの思想は守り切っている。それより強固に保守を言い出した。
公明党と、自民党の公約はすべて一致しているわけではない。憲法観などは最たるものだ。命令一下で動いてくれる公明票のおかげで自民党は過半数を維持している。多少、公明党の要求を聞いていれば政権は守れる。大臣になれる。
国政に参加した実績もない希望の党に、100人、200人の民進党候補者たちが揺れた。若狭何とかと言う前衆議院議員が仕切って決めている。それでも各種世論調査で、希望の党に投票すると答えた国民がやたら多い。国民の過半数は流浪の民と化した。小池百合子東京都知事はそんなに素晴らしい人だったか。
この混沌状態を喜んでいるのは自公とワイドショー関係者だけだ。森友、加計学園問題、審議なし採決など無茶苦茶な国会運営は関係なく、政権は維持されるかもしれない。この混乱の原因はどこにあるか。国民のせいなのか。選挙制度なのか。旧民主党か。立候補者たちが揺れ動いていては、国民も揺れ動く。
選択肢がなくなったと言う有権者が増えた。総じて自衛隊が憲法違反と言う人がいなくなった。自民党が賃金値上げを言う時代になった。あえて対立を探せば、社民党、共産党と他の政党かの時代になった。究極は思想ではなく、人物で選ぶ時代になったのかもしれない。
物ごとを真摯(しんし)に考えられる人。弱者を忘れない人。人柄が良い、威張らない、人間味があるかないか。党が決めたからすべて従う人ではなく、自分の感性を大切にする人。選ぶ基準を考える時代かもしれない。政党はどこでも良い時代かも。さあ、投票に行こう。(中島 進)

支持率より投票率を気にしよう

~選管の活動を見直せ~
各種世論調査で、今回の衆議院の解散は「納得いかない」がかなりの割合になっている。しかし、政党支持率は自民党が民進党の数倍だ。何をやっているんだと国民は怒っているが、持って行き場のない怒りはこのままだと棄権で集約されそうだ。投票率も50%台になるかもしれない、自公で過半数確保と威張ってみても、国民の4人に1人の支持で、国政が決まる仕組みになる。残り3人にとって不本意な結果でもだ。これが民主主義の怖さだ。
学校では模擬投票など多少の民主主義教育をしているが、大人になったらさっぱりだ。デモをすれば、一部の過激な若者だと大人たちから総スカンされ、政府はひたすら金もうけが一番だと国民に呼びかけ、消費税の使い方も公約そっちのけで議論され、国家権力の強化に邁進する。カルロス・ゴーンのような日本人従業員を何万人単位で退職に追いやり、金もうけにたけた外国人経営者に、マスコミ挙げて賛辞を送る日本はどんな国なのか。
それにしても民進党が迷走している。候補者も無理やり感が強い。県内は結局、2区には擁立せず、1区は徳山出身で私の後輩らしいが、顔を見たこともない。どう広がりを持つのか未知数だ。連合頼りの選挙では到底おぼつかない。地域に浸透させるためにも、地方の課題をもっと取り上げ、具体的な提案をしていかないと、森友、加計学園問題だけでは入り込むのは困難だろう。地方の人口流出、若者流出を食い止める施策、少子化問題への具体的な方策、中小企業への支援、地方商店の壊滅的没落に対する対策、教育機会の不平等への取り組みなど、地方で暮らす人々の胸に響くプランを訴えるべきだ。
地方自治体にも大きな役割がある。地方選挙も投票率が下がりっぱなしだ。まさに民主主義の根幹が壊れかかっている。各選挙管理委員会の役目も、そこにある。民間人を集めて明るい選挙推進協議会を作っているが、選挙時だけの活動になっている。選挙の時だけ投票を呼び掛けている。日常活動はゼロに近い。昔は各地域で投票することの大切さを啓蒙する勉強会などが開かれていた。投票でしか自分の意志を政治に表明することはできない。その大切さを日常的にどう伝え、動かしていくか。
各自治体の啓蒙活動にかける予算は微々たるものだ。目には見えないが、その対応の薄さは、今日では毎回の投票率に現れている。広報紙に掲載するのも選挙時だけだ。新聞も取らない家庭が急増している以上、おのずと政治に関心は薄れる。テレビでは不倫騒動はセンセーショナルに延々と流すが、政治的課題はどんどんタブーになってきた。何という国になってきたのだろうか。不倫したかどうかで政治家の良し悪しを決める国家は奇妙だ。すべての政党は支持率だけではなく、投票率を気にするべきだ。(中島 進)

列を乱す年配女性、怒鳴る男性

~増える暴走老人に対策は?~

年を取ると丸くなると言われるが、なかなかどうして暴走老人は増え続ける。先日、ATM(現金自動受払機)を使おうとしていたら、突然おばさんが乱入。「急いでるんだから」とはねのけて操作を始めた。唖然としてそばで待っていたが、終わってすみませんの一言もない。すたすたと帰るおばさんの後ろ姿にため息が出た。
新幹線などでもそうだが、列に平気で割り込むのは年配の女性が圧倒的に多い。一方、カウンターで怒鳴り散らしているのはたいてい年配の男性だ。はなからけんか腰で話している。
こんなに暴走する老人が増えるとは何という時代だろうか。確かに平均寿命が伸びて、お年寄りは元気だ。肉体的にはすこぶる健康になった一方で、精神的にはかなりすさんできている。その一因は核家族化の中での孤独感ではと思える。孫や子どもに囲まれていると、人間は丸くなる。1人だと周囲との関係も疑心暗鬼になる。
地域で子どもたちを育てよう、地域でお年寄りを支えよう。スローガンは立派だが、それには相当のリーダーが必要だ。リーダーを育てる場所、システムが必要だ。私の知る元公務員の中には何人かリーダー的な活動をしている人がいる。法律や行政の仕組みもわかっているから的確な指導ができる。しかし、そんな人物は少数派だ。毎年多くの公務員が退職するが、地域と関わりを避ける人が大半だ。
常に言っているが、首長の大切な役割は公務員の意識改革だ。取材を通して知り合った公務員で、現役時代、新聞記者と積極的に情報交換していた人は、総じて退職しても社会と関わっている。自分の仕事に自信を持っている行政マンは、むしろ記者の取材を喜ぶ。最近はどうだろうか。取材の申し込みにしり込みするか隠すことにきゅうきゅうとしている。
市民にとってより良い施策を考え出すことが公務員の最大の仕事だ。どんな部署でも、どうしたら市民の生活がより良くなるか、アイデアは民間から吸収することだ。昔、旧徳山市ではごみの収集車には童謡「ぞうさん」のメロディーが流れていた。聞いた住民は急いでごみを出しに行った。それもいつの間にか流れなくなった。日曜日に住民課の窓口も開いていた。工場勤務の人にはすこぶる便利だった。
話が飛んだが、暴走老人を少なくするのに妙案はない。核家族を防ぐ手だてを地道に続けることが最大の防衛策だろう。また地域コミュニティーを支えるために、市民と共に公務員も積極的に参加することも大切だ。失敗を避け、取材を避け、市民を避ける行政から抜け出すことだ。こう書く私も少々暴走老人の仲間入りをしているのかも。自戒を込めて書く。(中島 進)

市民と「共に」決めよう

~市章抹消から駅ビル名称まで~
周南市のホームページから市章が消えていたのは気付かなかった。昨年7月からだそうだ。合併して15年。もめにもめて、何とか2市2町が一緒になった。そのシンボルとして市章が制定された。ホームページからなくなっても文句を言う市民はほとんどいないだろう。日常では縁はない。しかし問題の本質は、市章をないがしろにする行政の体質だ。苦労して合併作業に従事した職員もいるはずだ。
まだまだ旧新南陽と旧徳山地区との確執は深い。合併は気持ちを一つにすることが一番困難な作業だ。商工会議所も別々のままだ。大げさに語れば、1つのシンボルマークの下で一体感を持たせることが肝要だ。アメリカでは多くの民族が一体感を持つために、国旗が存在している。
木村市長が作った「共に。」をシンボルマークのように使っている。そのため市章は追いやられた。「共に。」は市長の掛け声だ。全国に公募してできた市章とは違う。旗を降ろした集団に団結力はなくなる。団結を呼びかけることが大事だ。
「共に。」は木村市長だけのもので、次の市長は使わない。ほとんどの公用車に市章ではなく「共に。」を描いている。市長が変わる度にシンボルマークを変えるのだろうか。
議場には大きく市章が掲げられている。議長はそれを背に議事進行する。国家で言えば国旗と一緒だ。市章をホームページから抹消した重大さに、議会の反応も鈍い。多くの地方自治体職員は、市章をデザインしたバッジを付けている。今では「しゅうニャン市」バッジだ。
合併の立役者でもある河村和登元市長も驚いていた。あれだけ多くの人が汗をかき、苦労して周南市が誕生したのに、その歴史を捨てるような風潮に肩を落とす。徳山駅ビルの名称も、いつの間にか決まっていた。「周南市立駅前図書館」だそうだ。設計者とCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)だけで決めていた。「共に。」のスローガンが泣いている。市民の姿は見当たらない。よそ者にすべてを任すのも悪くはないが、決定のプロセスこそが地方行政の要だろう。
最近の周南市は、どこかで決まったことが突然発表されることが多すぎる。誰と「共に」決めているのか不可解だ。外部に知恵を借りることに異論はない。しかし、最終的には市民と「共に」決めることだ。面倒でも手間ひまかける作業が大切だ。木村市長と「共に」市民がいる。職員だけではない。(中島 進)

漂浪する国民を救え

~考え方の柱を立てよ民進党~
最近の国政ニュースはあまりにも次元が低く見る気もしない。森友学園、加計学園とどうでも良いテーマで情けない。支持率が下がって、これ以上何をしても、何も出てこない。安倍総理も今度だけは慌てたし、神妙な顔つきになっていた。先生に叱られた小学生のようだ。国会が議論の場と言うより、威張るか、相手を罵倒するかのような、論議とはとてもいえない争いが続いてきただけに、ここで仕切り直しにしてほしいものだ。
安保法案にしても、共謀罪法案にしても、国家の将来に関わる論議はまるでなかった。北朝鮮に対して、どう向き合うか、このまま放置はできまい。経済制裁が効かなかった今、残る道は本当にあめかムチしかないだろう。イランに制裁効果があったからと一緒にはならない。民主的な選挙で選ばれた国家と、独裁国家では根本が違う。
先制攻撃で粉砕するか、多額なあめで目をくらますかどっちかだろう。核を放棄させるためには相当なあめも必要になる。あめをばらまき、民衆の決起を促すことしか独裁国家を覆すのは難しい。武力による鎮圧は、アフガニスタンでも、イラクでも成功してはいない。ベトナムなんか良い例だ。まして大量のミサイルを持つ独裁国家となると、韓国だけでなく、我が国の被害は想像を絶するだろう。
国会はそうした議論をすべき場所と思っている。少子化対策も待ったなしだ。若者が少なくなることは亡国に直結する。獣医学科がいるとか、いらないではなく、我が国に必要な教育体制のあり方を、各党がしっかり考え、教育勅語うんぬんではなく、討論し合い、国民に信を問えばいい。穏健な社会福祉国家を目指すのか、強力な資本主義国家を目指すのか、どんな国になろうとしているのかわからない。
目的が景気回復にしろ、労働者の賃上げを自民党が要求する異常さに、民進党はついていけない。追及する民進党に思想というか、考えの柱がないから論争にならない。小さな政府か、大きな政府かも定かでない。国家権力をもっと強力にすべきだと、自民党ははっきりしている。共産党も柱が明確だから、わかりやすく、論争に迫力がある。
稲田前防衛大臣の件も含め、安倍政権の子どもじみた面がさらされて、支持率回復は至難の業だろう。チャンスに民進党はシャッフルして、2党に分裂してでも、柱立てに全精力を注ぐべきだろう。枝野、前原両氏では統一は無理だ。理論武装を徹底しないと、他の政治家も判断する材料がない。国民はもっと漂浪している。(中島 進)

地方創生は職員の意識改革から

~まずは優れた指導者を招け~

「まち・ひと・しごと創生法」がスタートして、全国の地方自治体が「地方創生」を掛け声に、さまざまに取り組んできた。県内でも周南3市を含め各市でそれぞれに試みている。まだ途中だが成果はどうなのだろうか。ここは経済学者がいる徳山大学あたりがもっと研究をしてほしいところだが、全国的に注目された話は聞かない。防府市は商工会議所と組んで、市内の企業を紹介する雑誌を作って高校生に配った。
全国的にそうであるように、単年度もしくは数年だけのバラまき的施策が圧倒的に多い。使うコンサルタントが一定して、補助金が引っ張りやすい事業に集中するから、金太郎飴のようなメニューが並ぶ。人口定住施策は補助金が目玉。将来自立できる技術を指導できる人材もいないから、補助金が縁の切れ目になる可能性が極めて高い。
周南市の須金では、次々と若者がブドウ園を開いて、極めて高い品質のブドウを生産している。収益率も改善し、年収も一般サラリーマンを超えるほどにもなった。だから夢を持てるし、意欲も盛んになる。
これは地方自治体の努力の結果ではない。優秀な若者が帰郷、土中水分の影響など研究を重ねた結果だ。糖分が高い、高品質のブドウを生産し、リピーターを獲得、わずか数年で軌道に乗せた。ここにヒントがあるのではないか。移住促進で多額な税金を使っている。一人移住させるのに500万円、1,000万円はざらだ。しかし、全国で志を捨てて出て行く若者も多い。
営農支援にも優れた指導者が必要だ。地場企業発展もそうだし、地方自治体がすべきことは、優秀なコーディネーターを募ることだ。周南地域地場産業振興センター開設の折、地元出身の優れた人を呼び寄せようと提案したが、報酬が市役所OBを前提に予算化されていて駄目だった。地域起こし隊員として、全国の自治体が若者を募集しているが、成功例は少ない。
それよりも、若い市職員に一定期間、中山間地域を担当させ、しっかり汗をかいてもらい、現実社会を知ってもらう方が得策だろう。優秀な指導者を招くか、若い職員を鍛えるか。地方自治体の課題は明白だ。周南3市で2,000人以上の公務員が働いている。みんなが本気で地域のために何ができるか考え、行動すれば、地域の展望は大きく膨らむ。
光市では若手職員を地域の活動に参加させる仕組みが始まって3年になった。下松市でも、周南市も、もっと若手職員のボランティア活動を奨励すべきだろう。勤務評価に取り入れるぐらいして、いかに市民とともに活動しているかが職員の資質として大事かをアピールすべきだろう。今でも結構、地域活動に参加する人もいるが、あまりにも評価が低い。
イクボス宣言もいいが、全職員ボランティア宣言はどうだろう。職員の意識を変えることが首長最大の仕事だ。地方創生の鍵は公務員の意識改革にかかっている。その議論がないまま、補助金のバラまきで何とかしようとしているのが、地方自治体の実態だ。ニャンとかしてほしいものだ。(中島 進)